私は「ふつう」という言葉について考えることがこれまでに人生の中で多々あった。なぜなら、自分自身にマイノリティだとか「ふつう」ではないと感じる部分があり「ふつう」になりたい、と思い悩んで、今まで多くの壁にぶち当たってきたからだ。
私は多くの壁を越えるのに沢山の時間や体力を費やしたと思っている。そのために犠牲にしたことも沢山ある。そして超えられる壁ばかりではなく、壁を壊したり、回り道をして越えなくても通れる道を通ってきたことだってあった。

癌治療は勉強も、友達も、最後の高校生活も、全てを変えてしまった

私は高校三年生から浪人にかけて特に大きな壁にぶち当たった。
高3の初夏、私は癌を告知された。当時私の通っていた学校は大多数の子が大学を受験する、もちろん私も大学受験をするつもりで、高2のうちから塾に通って勉強に勤しんでいた。癌を告知されてからも入院するまでの間もこれまで通り塾に通いながら、周囲も受験生のため短時間ではあったが放課後遊びに行ったり最後の高校生活を満喫しようと躍起になっていた。

夏休みに入るとすぐに手術のため入院した。入院中も勉強は継続していた。そして夏休みの終わり頃、抗がん剤治療が始まった。ここからが私にとって本当の試練となった。抗がん剤治療中はそもそも手術の影響で長時間座っていることが困難になった。
投薬により莫大な体力を消耗したため、ぼーっとしてしまう時間が増え、集中力が続かなくなり、勉強が進まなくなっていった。唯一出来た勉強も大好きだった日本史と小論文くらいで、頑張れた日でも一日一時間半出来れば上出来だった。

大好きだった読書がおっくうになり、テレビやラジオから聞こえる電子音がいやになってしまった。SNS上では学校や放課後、塾などの合間時間に楽しむ友人達の姿を見て、ここにすら私には居場所がないのか、と感じ友人達をほとんどミュートした。

「ふつう」は離れ、「悩み」は大きく壁となり、私の前に立ちはだかる

このころの私はもうどうやって生きていいのかわからなくなってしまっていた。
最後の学園祭にも出られず受験勉強もできず、一日のほとんどをベッドで過ごすようになって「ふつう」の生活すらままならなくなった。周囲の友人達と比べ「ふつう」の高校生活が送れないことに苦しみ、人目のないときに沢山泣いた。

そして高校卒業後、私の中で「ふつう」だと思っていた進路の選択肢は進学だったため浪人という道を選んだ。そこでも前年受験生をしていなかった私は周囲との学力の差や治療後で体力が落ちていたことから体調不良により思うように勉強が出来なかった。
志望校のレベルと自分の実力とのギャップ、毎日10時間以上机に向かっても成績が上がらないことに悩み、ストレスで嘔吐や喘息の症状の悪化、机に向き合う恐怖感に駆られた日もあった。

また予備校でも友人達が将来について楽しそうに話すとき、私はいつまで元気でいられるのだろうか、再発したときのためにどの様に生きたらいいのか、など友人達のように「ふつう」に勉強が出来たら、「ふつう」に将来について夢を持つことが出来たら、と悩み、大きな壁となって、私の前に立ちはだかった。

病気と他の人にはない経験が運んできた、私だけの生き方

しかし「ふつう」にはなれない、「ふつう」ではない自分を完全に嫌いにはなれない。こんな私だからこそ興味を持ってもらえたり、私に相談を持ちかけて、悩み相談をしてくれたり、面白そうな企画に巻き込んでくれたりする環境があるし、自分とは少し違った世界に身を置いていて、私のちょっとしたチャレンジを応援してくれたり、客観的なアドバイスをくれたり、協力してくれる人たちがいる。
人と比べてふつうではない部分が多々あると感じるが、私のなかで「ふつう」になりたいと思っても、自分にはマイノリティのレッテルを貼られている気がして「ふつう」を超えられなかった。

今の私はまだ「ふつう」になりたいと願い、嘆き悲しみもがいてしまうこともあって「ふつう」を超えるには至っていないが「ふつう」でないことによって見える世界があることを知った。だから私は「ふつう」ではないなりに社会に貢献できるような生き方を見いだしていきたいと思う。