19歳、女子大生。浪人生活が終わり楽しみにしていた大学生活もオンライン授業となり、自宅で授業をこなし、ただバイトに行くだけの日々。
9月の頭に入学式が行われ、初めて同じようにオンライン授業を受けていた同級生達と顔を合わせることが出来た。秋学期からはやっと週2,3回通学で授業を受けられるようになり、やっと大学生になったことを実感できるようになった。
高校三年で受けた癌の宣告。闘病、浪人を経て念願の大学生へ。
実は私、高校三年の夏に癌を宣告され、手術と、約半年に及ぶ抗がん剤治療を受けた。そのため受験勉強を続けることが出来ず、そんな中でもなんとか高校三年生らしいことがしたいとセンター試験だけは受験したが、そんな状態で受験しても周囲の受験生と互角に戦えるはずもなく、浪人することとなった。浪人したからといって行きたい大学に進学できるとは限らず、第一志望ではない大学に進学することとなった。
浪人時代は、大学生になった友人達を見ながら、監獄予備校と呼ばれている予備校に通い、毎日12時間塾に籠もって勉強していた。大学で沢山の新たな学びを得ることを楽しみに、体調を崩しながらも日々なんとか頑張っていた。だから志望大学ではなかったものの大学生になったという喜びは人一倍強かったと、周囲の友人を見ていて感じている。
ADHD、ASDの診断。セクシャルマイノリティという個性も。
私の抱える問題はこれだけではない。今年の夏、世間に「コロナ鬱」という言葉があるように私は鬱々とした日々を過ごしていた。それは浪人生活の延長線上にあるような、なんとない生きづらさなのだろうと最初は考えていた。
しかし、段々私は言葉では表しきれない闇を抱え込んでほぼ無気力状態となってしまっていたのだ。病院を受診し検査を受けた。そしてADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けることとなったのだ。
私はまだまだ症状とうまく付き合うことは出来ておらず、日々付き合い方の模索を続けている。
そして私はセクシャルマイノリティでもある。元々自分の中でそんな傾向もあるかもしれないと頭をよぎったことは多々あったが、実際自認するようになってまだ1年程度である。
闘病生活、浪人生活と長く孤独な日々の中で自分自身と向き合い、見つめ直し、葛藤し、自問自答を重ね、自分の生き方や今後の人生、恋愛観、人生観、価値観などたくさんのことを考え直すこととなった。
だからといってまだ自分のセクシャリティがはっきりとしているわけではない。
同性に対してだけ好意を抱く時期、異性に対して好意を抱きつつ同性に対しても好意を抱く時期、そもそも恋愛感情を持てなくなる時期、などがある。私の場合、非常に流動的なのだ。
そして私はかわいいものが大好きだ。どちらかと言ったら女の子らしいと言われるような服装が好きである。だから見た目にはわかりにくいらしく、私がこのような話をしてもなかなか理解を得づらい。
苦しい中からも、楽しみや新たな気づきにつなげることができた
そんな私のほんとは褒めて貰いたい自分のかわいいところは、なかなかハードモードな人生ではあるがなんだかんだその環境を楽しんで生きようと奮戦するところだ。
高校一年で両親は離婚し父子家庭になった。高校三年で癌宣告され、大学生になったかと思えば、コロナが流行。ADHD、ASDの診断、加えて持病もあって身体も弱い。さらにセクシャルマイノリティ。
こんなある意味全く普通ではない人生を歩んでいる私であるが、闘病生活中の病院では、沢山の患者さん達とお話しし、沢山の方のこれまでの人生を伺って自分の進路を考えることが出来た。
また、様々な人の価値観、人生観、生死観に触れることが出来、非常に興味深い経験となった。そして自分の思考の引き出しを増やすことや、視野の拡大に繋がった。今でも病棟で仲良くなった方と連絡を取って定期的に会っている。
浪人生活も、毎日12時間塾に閉じ込められ、閉鎖された異様な空気感の中一年を過ごし、勉強に対する楽しみ方を発掘することが出来た。
まだ最近の出来事ばかりで日々模索中の部分もあるが、苦しい部分からも、自分で楽しさや新たな何かを見いだすことができると信じている。
このハードモードな人生の歩みを止めず、これからも日々奮戦し、進み続けようと思う。