ファーストキスの相手は、大好きな女の子だった。

けれど幼い私たちが唇をくっつけた理由はそんな甘酸っぱいものではなくて、ただ、私に確かめたいことがあったからだった。

その頃の私は、世の中の当たり前をめいっぱい吸収して、普通という基準を自分も見つけ出そうと無邪気に外を駆けまわっていた。
そうして当然のように、男の子は女の子を、女の子は男の子を好きになることを知った。

だけど私には、その理由がわからなかった。テレビや教科書を見ていればそれが「普通」だということはわかるけど、納得ができなかった。
だって私はまだ男の子のことも女の子のことも好きになったことがない。それなのにまるで、私はこれから必ず男の子を好きになると言われているみたいじゃないか。

女の子とキスをしたって、危険なことは起きなかった

好きになる、イコール、キスだと少女漫画から学んだ私はそこにヒントがあると考えた。そして、キスが親愛の行為であることは知っていても恋は知らない私は一つの仮説にたどり着いた。

もしかして同性同士でキスしたら、死ぬんじゃないだろうか。
そんなはずはないとは思った。
だけどもしかしたら、私が知らないだけでそうなのかもしれない。誰も教えてくれなかったけど、同性同士でキスをするのは、凄く危険なことなのかもしれない。

気になったらやってみればいい。そうして好奇心の強かった私は、みんなに隠れて親友の女の子と息を止めて口と口を合わせてみた。

一瞬の接触の後、数センチ離れた場所でお互いの息を感じながら見つめ合う。
私たちは死んでいなかった。私も彼女も、傷一つないキレイな身体だった。

誰と唇を合わせても、誰も死ぬことはない。
どんな愛を伝える行為も終わってしまえばそれだけで、その後に残るのは、好きだという気持ちだけだった。

もしかしたら死んでしまうかもしれないという覚悟で挑んだ先にあったのは、ちっぽけで当たり前な、それこそ普通の事実だった。

あの日、私の中の「普通」は少しだけ角が取れたのだと思う。そして今も私は、できるだけ多くの角を削って、誰のことも傷つけないものにしようと日々試行錯誤している。
日付なんて覚えていないけれど、あの日は私が自分の可能性を広げた、大切な日だ。

自分のセクシャリティはわからない。でも、それでいい。

結局のところ、私は同性愛者なんだろうか。
実は今でもそれはわからない。今日までに私は異性愛者として何度も男性に恋をした。
しかし、その合間に何度か女性に恋をした。
私にわかるのは、好きな人と目が合ったときに心臓の音が煩くなるということだけだ。

今日の私は男性が好きだった。だけど明日はわからない。
明日の私は女性が好きかもしれないし、もしかしたら男性が好きだけどそんなことも忘れてしまうくらいに素敵な女性が現れてしまうかもしれないし、はたまた誰のことも好きにならないかもしれない。

それは私にもわからないし、他の誰にもわかるはずがない。
でも例え誰かを好きになったとしても、きっとそこには私と、もう一人の人間がいて、その間に好きという気持ちがあるだけだ。
怖がることなんて、きっとない。

自分のセクシュアリティも曖昧な私はどこに属したらいいのかもわからなくて飲み会の恋バナにも混ざれないけれど、それは誰のことも傷つけやしないし誰の命も奪わないのだ。
なら、何だっていいじゃないかと思う。

私は、朝起きた時に隣で「二度寝しちゃおうか」と笑い合える人と、手を繋げたらと思う。
その人がどんな形をしていて、どんな色をしていているのかは、明日になってみないとわからない。