おいしそうなものを見たら思い出すひと、これ食べたいなって思ったとき、ひとりじゃなくってあなたとおいしいねって笑いあう姿を想像する。思い出のなかにはいつもたくさんの食べ物があって、おいしかった食べ物の思い出には、いつだっていとおしいひとたちがいる。
おいしいはしあわせで、しあわせを共有したいって気持ちは愛でしょう。
だから、食事を、食事の時間を分け合うことだって、とんでもない愛以外のなんでもない。
大好きな友人たちと食べたもの、
気さくな店主さんがサービスしてくれたりする焼肉、
ホームって呼んでるくらい居心地のいいチェーンの居酒屋の馬鹿みたいな量の生クリーム、
こそこそしながら友達に黙って頼んだ変な名前のノンアルコールカクテル、
なんかアイス食べたくない?って酔っ払ったまんま夜中にコンビニに買いに行ったアイス、みんなでわいわい買い物して友達の家で食べた駄菓子に知育菓子、
どうしても名残惜しくって寄った2軒目のファミレスのポテト、
店員さんがかっこよかったレストランのめっちゃかわいいパフェ、
いちばんの友達が焼いてくれる世界一おいしい餃子。
恋人と食べたもの、みんなみんなおいしくって愛しかった
恋人がご飯を食べているところを見るのが大好きだ。
おっきい口を開けてばくばく食べて、満腹になったら幸せだ~ってちゃんと言うところも。なんだっておいしいを分けてくれるし、もらってくれるところも。
シェアしよって笑いながらいろんな種類をいっぽんずつ頼んでくれる串焼き、
運動部の高校生かよってくらいどんどんかきこんでた食べ放題のしゃぶしゃぶ、
誕生日にきれいな景色見ながら食べたイタリアン、
おいしかったから飲ませてあげたいって言ってた日本酒の名前、
ゲーセンで可愛いからこれねって買ってくれた自販機のカラフルなアイスクリーム、
映画見る前に半分こしたクレープ、
しょっぱくってやけにお腹いっぱいになっちゃったラーメンまで、
みんなみんな覚えている、あ、写真とっとけばよかったって後から思ったりするけど、楽しくってそんなの忘れてる、画像フォルダになくたって、みんなみんな、自慢してまわりたいくらい、だってどんな高いご飯より、おいしくっていとしかった。
愛することを許されることは、愛されるくらい尊いこと
好きだって伝えるのってしぬほど重いことみたいな気がしてた、受け取ってもらえるかわかんなくって怖くて仕方なくって、胸にずっとつっかえたまんま最後まで言わなかったことがたくさんある。
なのにいま、いとおしい恋人に毎日のように、だいすきってメッセージを送ったりする、ありがとう愛してるよ!って、言い合えるかわいい友達、24年、愛されたくて愛されたくてどうしようもなく生きてきて、やっとわかったのだ、愛することを許されることって、愛されるくらい尊いことだって。
あなたとわけあいながらいっしょに食べたいものがまだまだある
みんなで死ぬまでにわんこそばしたいねって話してた、マイペースなあの子や少食な彼は、おんなじテーブルでこっちを見て笑いながら、ゆっくり一人前のそばを食べたりするんだろう、
回転寿司で限界まで食べてお皿の数を競争したりしたい、
げらげら笑っちゃうくらい大きいパフェを囲んだりしたい。
そういえばまだ、恋人のあのおっきな口がハンバーガーにかぶりつくのも見たことないなぁ、
生活を共にしたりしたら、漫画みたいにご機嫌取りにコンビニスイーツ、買ってきたりするのかな、
先のことはまだわからないけど例えば子どもが生まれる人生がわたしにあったとして、おやつのビスケット、ママにもあげるねなんて言われたら、泣きたくなっちゃうかもしれない。
そうやってずっとずっとだれかと愛をわけあっていけたら、愛することを許されて、愛してもらえたりなんかしちゃったら、なんてしあわせなんだろう。
あなたと食べたいものが、まだまだたくさんあるんだよ。
ねぇ、明日のご飯は、何にしよっか。