16歳の夏、私はインドネシアの山奥にいた。

昼間、体を照りつける太陽がやっと傾き始めたその時、私はふと思いついたように石造りの階段を駆けあがった。

当時私が住んでいたその施設は、ちょうど二階を作り始めた段階で資金が尽きたらしく、一階のリビングから伸びる階段の先には、文字通り何もなかった。

不揃いでざらついた段差の大きな階段を登る。その期間ですっかり慣れた素足で、自分の体を押し上げるようにして、一歩一歩、踏みしめながら登って行った。
まるでトンネルの中から抜け出たときのようだった。室内の空気から一変、私の目の前には、視界いっぱいに溶けるような夕陽が広がっていた。そこには、地表にびっしりと生え揃ったビル群も、大地に仁王立ちするようなタワーもない。
あるのは、緑の木々と、遥か先まで続く地平線。そして、どこまでも世界を赤く染め上げる、大きな夕陽だけだった。
あれ以上に美しい夕陽を、私は知らない。
みんなの言う「普通」から抜け出したのは、きっとあの時だろう。

それまで私は、無意識のうちに“普通”であることを要求されていた気がする。それは親に?もしくは、周りの友人?“周囲の視線”という概念から?流行ばかり追いかけるSNS?それとも、自分自身だろうか。

最終的に私はこう結論付けた。“普通”に縛られていたのは、自分自身で、その私を縛っていたのは、自分の小さな小さな世界だ。

15分毎にSNSを気にしてしまう。そんな自分が嫌いだった

16歳の私にとっては、やっと合格した片道一時間半かかる高校と、東京の隅っこにある家族と暮らす家が、世界の全てだった。

仲の良い友達が、私抜きで遊んでいる写真を上げたSNSの投稿。そんなものをたった一つ見るだけで、地の底に突き落とされたかのように落ち込む。
15分毎にTwitterや、インスタグラム開き、自分が置いてきぼりにされていないかを確認する。SNS上で、「自分がいかに幸せであるか」それを周囲に分からせるために、毎日四苦八苦していた。
そんな自分が大嫌いで、時々自分でもそのあまりのくだらなさに笑けてしまうくらいだったが、やめることはできなかった。
しかし、今までたった一度でも自分に尋ねたことはあっただろうか。“私は、一体何がしたいのか”と。

中学の理科の先生は、私の憧れだった。厳しいけど優しくて、色々なことを知っていた。私は彼の弾くピアノを聞くために、度々休み時間の音楽室に行った。ある日先生は、自分がある国で2年間数学の教師をしていたことを話してくれた。その国は、貧しくて、先生のいた地域では、まともに水道も通っていなかったのだという。
「ではそこには何があったの?」私がそう聞くと、彼は、私ににっこりと笑ってこう言った。「日本にはない全てがそこにはあったんだよ」

その時から、海外に行くことは私の憧れになった。それも、先生が行っていたような、“新興国”と呼ばれる国に。

両親は“普通”に、幸せに生きていって欲しかったのだと思う

高校2年生の夏、やっと私は自分を奮い立たせた。そこから、夏休みにインドネシアの孤児院に滞在するまでの半年余りの時間は、本当に大変だった。親に迷惑を掛けたくなかった私は、文科省の奨学金制度に何とかして合格することができたが、それでも両親は猛反対した。

「そんなことがお前にできるわけがない」「普通はあり得ない」何度もそう言われた。今なら、両親はただ私を心配してくれていたのだと分かる。そして、同時に彼らは私に“普通”でいて欲しかったのだと思う。“普通”に、幸せに生きていって欲しかったのだと。それはとても温かく、大きな愛だ。

しかし、私はそこから飛び出したかった。もっと、多くのものをこの目で見て見たかった。最終的に、彼らは折れてくれた。「もしお前がそこで死んだとしてもしょうがない。その覚悟で送り出すことは覚えていてくれ」と父は私に言った。

インフラ設備はないらしいという事前情報の為、腰まであった髪をバッサリと耳下まで切りそろえた私を見て、友人達は「長い方が良かった」と言ったが、私はもう構わなかった。

インドネシアの夕陽。あの美しい景色を見て、私の胸には怒涛のように熱い思いがこみ上げてきた。
「私は自由だ!」
思わず、そう叫んでしまいたいくらいだった。それほどまでの感動を、私は16年の人生で味わってきたことがなかった。

その気になれば私は、どんな場所の、どんな環境でだって生きて行けるんだ。私はそう信じた。

 

その気になれば、どんな場所の、どんな環境でも、生きていける

今でも私の胸には、16歳の私が信じたものがしっかりと息づいている。
今年で、21歳になった。あれから何カ国ものアジアの国を回り、人々と暮らし、私の世界は広がり続けた。
今の自分が、私はとても好きだ。両親も、友人も、もう決して私を“普通”に閉じ込めたりはしない。「お前は変わっているが、最高に面白い奴だ。」と言ってくれる。

私を信じてくれる人がいる。私も、私の可能性を信じている。
これからも、私の世界は広がり続ける。