「お母さん、あの時は○○○ね」大人になった今だから、お母さんに伝えたいこと。「育ててくれてありがとう」「だいすきだよ」とか、いっぱいあります。

でも、私にとって一番言いたい事、そして言えなかった事はもっと別のことなんです。
ずっとずっと、後悔していたこと。

お父さんの携帯電話を見つけて、写真やメールを見てしまった

それは、私が小学生の頃でした。その日はお母さんと2人で車で、お買い物に出かける予定でした。その日はたまたまお父さんが、お母さんの車を使っていて、私とお母さんはお父さんの車に乗り込んだのです。

お母さんは私に「忘れ物したからちょっと先乗ってて」と伝えました。私は、お父さんの車でなんの気なしに、お父さんの昔使っていた携帯電話を見つけました。小学生だった私は、携帯電話への憧れもあり、お父さんの携帯電話に車の充電をさしました。

すると、昔の携帯電話がついたので、私は興味津々でその携帯電話を見てしまいました。その携帯電話の写真フォルダには、たくさんの私たちが子どもの頃の写真が残っていて、お父さんが家族、私たち子どもを愛していたことがわかりました。そこにほっこりした私はそのあと、メールフォルダも見てしまったのです。

お母さんとの昔のやりとりもたくさんありましたが、そこには、知らないある1人の女性から着ていたたくさんの他愛もないメールがありました。お父さんは、お母さんじゃなく、この人に心惹かれているとすぐに小学生の私でもわかりました。下品ではなく、とても丁寧で、かえってそれが今となっては、リアルに感じてしまいます。

私の前では「明るく」していたお母さん、お父さんと喧嘩になり…

そんな時、お母さんが帰ってきて、私はお母さんに見つからないよう、とっさに携帯を写真フォルダのページに変えました。けれども、そんな私の隠し事はすぐにお母さんに見つかってしまいました。

お母さんは、私の前では元気で明るくしていましたが、お父さんが帰ってきてからは、大喧嘩でした。昔のことだとしっかり対応しないお父さん、それを攻めたくるお母さんにお父さんは怒り、お母さんは出て行ってしまいました。

その事が、私は悲しくて悲しくて「私のせいでこんなことになってしまった」「お母さんは、私たちを捨てるのかな」と不安が襲ってきました。その頃の私は、お母さんの傷つきには気付かず、自分のことばかり考えていました。しまいには、大好きだったお父さんの事をかばってしまいもしました。

悲しくて悲しくて仕方なく、お母さんに「お願いだから帰ってきて」「私たちを捨てないで」と電話してしまいました。お母さんとお父さんは、話し合いもできてなかったのに。お母さんは、しっかりお父さんの話を聞きたかっただろうに。母親として子どものために我慢したと思います。

お母さんは「お母さん」である前に1人の女性であり、人である

小学生だった私も21歳になりました。今だからわかるのです。
お父さんが悪かった事。お母さんは、お母さんである前に1人の女性であり、人である事。そして、お母さんは強いかもしれませんが、実はそんなに強くない事。強くならなきゃいけなくなってしまった事も。

その時のお母さんの辛い気持ちがどんなだったか、私が歳を取れば取るほど痛いほどにわかるのです。小学生だった私には、わからなかった事が今となってどうしようもできない後悔となります。でも、私がお母さんに謝るには時間が経ちすぎてしまっているし、今でも後悔を伝えきれずにいます。誰ももう、その事については話ません。でも、お母さんは忘れてはないと思うのです。

21歳の私には、1人の女性として、お母さんがどんなに傷ついたかはわかるようになりました。けれど、母親になっていないので、その部分はわからないところがあるのかもしれません。私がいつか、お母さんになったら、もっと違う考え方ができるのかな。それとも、このままなのかな…なんて、思いながらいつか謝りたいと思っています。

謝ることすらも、お母さんのためにならないと考えたら、いつか伝えたい思いとして持っているかもしれません。もしかしたら、ごめんではなくなるかもしれません。

そうなると、私の“母にいつか伝えたいこと”は、大人になった私にしかわからない「あの時は○○○ね」なのだと思います。