クラスで可愛いランキング2位、料理上手そうランキング1位、将来有名になりそうランキング3位。
だった。
これは高校3年生、卒業の時に作ったクラスの冊子である。
アンケートを採って、集計されたこのランキングを見て、私はどういう気持ちになれば良いのか分からなかった。
今見ても、辞めてしまったタバコをまた吸いたいような気持ちになる。
クラスの中にカーストがあるとして、私はなんとも言えない立ち位置にいた。
キラキラ輝いて、一番大きな声で笑っても良い女の子たちとも普通に話したが、静かで着実に生きていきそうな女の子たちとも一緒に微笑んだ。
だけどどちらに属するのも気が引けて、誰といるのも本当の意味では楽しくなかった。
高校生特有の自意識が自分にもあるにも関わらず、他の人のそれが見えるのがとんでもなく嫌だった。
特に野球部の坊主頭が苦手だった。
ある日部室で資料を作っていた所、開いている扉の先からカシャと音が鳴った気がした。
横目で見ると、携帯電話を構えているようで、要するにこっそりと私は撮影されていた。複数枚の私が、同級生男子の携帯に保存されてゆく。
別にいいや。と思った。
何に使うんだろう、私の画像をオカズにご飯でも食べるんだろうか。と冷めた心で思うだけだった。
「高嶺の花」なんて寂しい存在。放置せずに踏み込んでほしかった
私は「高嶺の花」と言われていた。
と書くと、自意識過剰の馬鹿みたいなのだが、本当に自分にとっては馬鹿みたいな話だったのだ。
しゃらくせぇし意味わかんねぇと思っていたのだ。
成績は普通だし、特技も特に無い、あるのはちょっとした身長くらいで、目は奥二重だった。文章を書いたり写真を撮るのは好きだったけど、賞は取ったことがないし、胸を張れるボランティア活動だってしたことがない。
語学が堪能なわけでもないし、モデルのオーディションには受からなかった。
所謂どこにでもいる高校生でしかなかった。
だけれど、高嶺の花だったのだ。
その上で、全国の高嶺の花を代表して言おう、私たちは寂しい。そうだろ。
誰も踏み込んでこない。触れてはいけない、遠くから見る存在である私たちは結果的に放置され、純粋なまま、さらに崇高になっていく。
カースト上位の女の子たちが昼休憩に性的な話をしているのを聞いて、私は胸がドキドキした。
高鳴ったのではない、話を振られたらどうしようと緊張感が走って手に汗を握ったのだ。
高嶺の花は放置されている、誰の手も握ったことがない、口付けなんてまさか。
彼女たちは昼間っから、挿入の時のコツをコソコソと、でも聞こえるように話していた。
人の物になったことがあることが自慢気だった。
高嶺から飛び降りて、誰かに必要とされたかった
私も雑に扱って欲しかった。誰かの物になってみたかった。
普通の人だから、高嶺から飛び降りて、写真でではなくて誰かに私を食べて欲しかった。
私の普通と、同じ目線の普通を持っている人に出会いたかった。
何も持っていない私に、何にも持ってないね。と言ってくれる人がいて欲しかった。
何か持っていそう、という目線はもうこりごりだった。
それと同時に、結局のところ必要とされていないのが私だった。
クラスで可愛いランキング2位、料理上手そうランキング1位、将来有名になりそうランキング3位。
常に寂しかった。高校生活の間、寂しくない瞬間はなかった。
私は彼らの理想通りに生きられているだろうか。
今もそれなりに純粋に見えているだろうか?
初めてタバコの煙を肺に入れた時、誰に対してか分からないけれど、ざまあ見ろと思った。
そして同時に、ようやく私は綺麗だ、と感じたのだった。