「なんでふつうのことができないの」

「ふつうは○○なのに」「ふつうにかわいくしてればいいのに」

小さい頃から「ふつう」という呪いは根深くわたしと人を隔てる。

幼稚園から度重なる脱走、同級生に噛み付き暴動。母の絵を描く授業で、母の瞳をグリーンに描いたことをおかしいと言われて逆上。運動会のリレーではスタート地点から逆走し、保護者呆然。アルバイトではお気に入りのヒョウ柄のファーコートで出勤。周囲はドン引き。自分では「ふつう」に仕事をしても、注意されたことをどれだけ気をつけても「社会人として何もできていない」「常識がない」と言われた。

「ふつう」になれない自分が苦しく、「ふつう」を超えてしまう自分が嫌だった。

良い意味で「ふつうじゃない」姉と、悪い意味で「ふつうじゃない」私

三つ年上の姉は身長が高く先生や男女問わず友達が多く、なにをしても目立つタイプだった。バレーボール部ではエースとキャプテンを担うスター選手だった。同級生の女から「お姉ちゃんにお手紙書いたの!渡して!」と頼まれることもあった。親は時間があるとバレー部の応援に足を運んだ。

そして自分はというと、幼少期から絵を描くことくらいしか褒められなかった。小中に上がると勉学は疎か、ずっとテレビを観るか、寝ずに絵を描いていた。運動はそこそこだったが、中学で入ったバレーボール部では「お前がいるだけでコートが暗くなる」と言われて3年間ボール払いしかさせてもらえなかった。毎週末は練習試合があるのに、汗ひとつかかずに帰るのが恥ずかしかった。親は気付いてなかった。「なんでお姉ちゃんの試合は観に行っていたのにあんたの試合は行けないの!?」と怒られた。

良い意味で「ふつうじゃない」姉と、悪い意味で「ふつうじゃない」妹。

現在、姉はDJを生業とし、コロナ前では自ら海外のフェスに足を運んだり、海外のフェスに呼ばれたり、ファッション系のイベントに呼ばれたりしている。そんな姉が充実した時間を過ごしている中、就職活動していた。せめて、大きなところに就職して社会に認められたかった。

「ふつうからはみ出た」存在にしかなれないことに苦しんだ

周りの学生が教授のツテや先輩のツテで未来が決まっていく中、自分一人どこにも採用されなかった。苦し紛れに先輩のツテで就職した友人の会社に人手がないということでテレビの制作会社で働くことが決まった。想像通りの激務で不眠症になりドミノ倒しのように軽やかにうつ病になり退職した。無職になると300円のワインを直で飲みながら四六時中犬の散歩をした。

眠れない日々を9%の酒で流して記憶をぶっ飛ばして毎日を早送りしていた。

「ふつうを超える」というよりも「ふつうからはみ出た」存在にしかなれないことにいつも苦しんだ。

「ふつうを超えている」私を面白がってくれないか

今や「アラサー」という言葉もよろしく、イラストレーターとして世に名が出ている友達や、子供を産んで働く友達、フリーランスでやりたいことをやっている友達、就職して出世する友達…皆、今まで積み重ねたものがあるのに、私だけがやりたくもないアルバイトをやり、でお客さんにすら「笑顔で接客できないのか、やめちまえ」と言われ、いい歳して職場で号泣した。ストレスで夜中に胃にあるものをマーライオンのように吐き続け、今度は過食して一気に体重を増やし、そろそろ顔の輪郭と首の境目がつながってしまいそうだ。またしても自分の気持ちとは裏腹に「ふつう」を超えて苦しい毎日。

「ふつう」にもなれず「ふつうじゃない」ことを武器にもできず毎日を、どうかこの一字一句タイピングしている文字が銃弾のように殻を突き破り、誰かに届かないか、どうか私がここにいることを誰かが気づいてくれないか。「ふつうを超えている」私を面白がってくれる場所に行けるように。