わたしは本当にわたしなんだろうか。
この一説だけ聞くと、学生時代に空想世界で生きた人々の左手が疼いたり、右目が疼いたりしそうだと思う。
でも、そうではなく。
これはわたし自身、20代後半のしがないOLの今現在思っている疑問だ。

この疑問にぶち当たったのはなぜなのか。核心的なきっかけ、というよりは幼少期からじわじわと心を支配していった「世間体」による「普通」の人生観が原因だと思う。

この世界の「普通」を生きなきゃだめなんだ

まだわたしが小学生だった頃。転校生であった自分はクラスに馴染めず苦労していた。
そこで取った行動は《他人と同じ意見を持つ》こと。つまり、同調や共感をして溶け込もうとしていた。周りに合わせて微笑み、周りに合わせて発言する。すると、そこに合う人々が集まってくる。
初めはそれでよかった。よかったはずだった。そこに小さな違和感が生まれる。「自分はこう思うのに」と。
周りと違う行動をするとハブられる、蔑まされる。でも同じ行動ばかりは窮屈で息が詰まった。
徐々に徐々に、自分を出していく。自分を出していくと必ず「変わってるね」と言われた。
わたしはそれが嬉しく、誇らしかった。
自分は他人と違う、唯一無二なんだ! と、満足感さえ覚えた。

ところが、そんな感情が崩れ落ちる瞬間がくる。
小学生最後の年、卒業まであと半年の頃。仲良しグループからハブられた。
理由は「作った歌を歌うから」。そこまで自覚はなかった。 だが、そう伝えられた。
わたしは元々演技をすることや創作することが大好きで、演劇部がないなら作りたいと先生に話していたり、ノートにたくさんの漫画を描いて友達や親、近しい人たちに見せていた。
その延長だったと思う。でもそれを「おかしい、普通じゃない」と一蹴されたようだった。
最初は微笑ましく見ていてくれた人たちが、わたしが年を重ねるにつれ、演劇や漫画に対して「もうそろそろやめるよね、普通は」などと言いはじめる。

そこで悟った。
「この世界の『普通』を生きなきゃだめなんだ」。

周りに溶け込もう。自我は捨てて、やりたいことなんてない。最初の自分に戻らなきゃ。

本当は夢があった。でもそれは「普通」じゃない

月日は流れ、就職し社会人になった。

夢は──ないことにした。

わたしの地元は田舎で、20代前半で結婚する人が大半。結婚していなくても恋人がいて、悩みは恋愛について、将来について。子供がほしい、地元から出たいけど出るのが怖い。なんて、それが「普通」の日常だったし、《みんな》それを望んでいた。

親も親戚も「結婚する気はあるの?」が口癖になり、わたし自身もそのような相手がいた時は結婚したくて堪らなかった。
なにがなんでも「普通」でいたかった。
もう、独りにはなりたくなかった。

そう思っていたのに、わたしはいつも虚無感に襲われていた。
「普通」が苦痛だった。
本当はたくさん夢があった、やってみたいこともあった。でもそれは「普通」じゃない。地元から出るのも反対されたんだ、結婚して孫を見せたい、勤続していなきゃ忍耐力がないと思われる。行動できない自分も嫌だ、でもそれが「普通」の人の「普通」なんだ。

それでも、どうしても、わたしは、わたしの頭の中には──。
声の仕事がしたい、演技がしたい、ラジオのパーソナリティーになりたい。
そんな、都心からも遠い田舎では浮世離れした夢が、チリチリと燻っていた。

「普通」なんて他人のものさしであって、自分は自分でいい

思えば、その頃のわたしは「普通」を相手取り、行動できないことを他人のせいにしてたように思う。
周りの《みんな》から「普通」じゃないと言われるのが怖いなんて言い訳をして。
じゃあその《みんな》って誰? 「普通」ってなに?
答えられる人などいないと、今のわたしは思う。
そこに出てくる《みんな》は自分が生きてきた中で出会った人たちの声で、その「普通」は勝手に時代がメディアが出会ってきた人たちが考えたマイルールを、「世間体」としてばら蒔いているだけだから。
小さなコミュニティを抜け出すと見えてくるものもある。
じゃなきゃ様々なコンテンツで活躍している人たちはなに? 「普通」じゃないと言うのであれば、そこから娯楽を得ているのは失礼じゃない?

演劇部をバカにされた学生時代、「そんなこと言うならドラマもアニメも観るな!」と思っていた自分を受け入れたい。
「普通」なんて他人のものさしであって、自分は自分でいいんだよ。他人は誰だってそこまで他人に興味はないし、誰も自分の人生の責任を取ってはくれない。
自分は一生一緒。
まず、自分を受け入れて好きになろう。夢があることを楽しんで、行動できないと嘆かないで。それは時期じゃないと楽に考えよう。

周りが作り上げた自分ではない。今のわたしはわたしだよ

そして今、わたしは地元を飛び出して一人暮らし。環境を変え、こうしてエッセイを書いている。
夢である声の仕事はまだ出来ていない。少しずつ、自分なりにチャンスを掴むために邁進している。
自分でも「それは『普通』こうだよ」なんて発言してハッとする。それは自分の人生観だと。それを相手に押し付けてしまっていたら申し訳ないと思って訂正する。
「わたし自身の考えは──」と言い直す。
意見は取捨選択して、もちろん好戦的になるのはあまりよくないけれど。

地道で一歩ずつでも、今の自分がとても好き。
周りが作り上げた自分ではない。今のわたしはわたしだよと冒頭の疑問に返そう。
たまにブレることはあっても、この想いを残していたらきっとまた前を向ける。

さて、次はどんなことをしてみようかな。