陶板に表現された世界中の複製名画が並ぶ巨大な美術館

私は関西生まれ、関西育ち。そんな私が関西から誇る、大好きな美術館がある。それは、大塚国際美術館だ。ちなみにこの美術館があるのは徳島県鳴門市です(関西ちゃうんかい)。だから私は橋を2つ渡ってそこに赴くことになる。

行ったことがある人は「あ~あそこね~!」となると思うのだが、大塚国際美術館は5つのフロアを巡ると鑑賞ルートが約4キロにもなる、巨大な美術館だ。とにかく広い。

しかし特筆すべきはその広さだけではない。この美術館にある作品は全て、陶板に特殊な技術で転写された、複製なのである。その数なんと、1000点以上。恐らく、一般の人の知識でパッと思い浮かぶ世界の名画のほとんどの複製が、そこで鑑賞することができるのではないだろうか。

陶板複製画は原画と異なり、災害などのダメージに強く、2000年先も同じ姿を保ち続けるといわれている。また、陶板を組み合わせた大型の展示で、海外の大聖堂の内部をまるごと再現したり、陶板であるからこそ楽しめる自然とのコラボレーション展示もある。さらに、既に失われてしまった絵画の復元なども行われており、当然それも入館料を払えば鑑賞することができるのだ。

芸術作品としての美しさと陶板複製画の技術に圧倒された

私が初めてこの美術館に訪れたのは、中学校1年生の頃の郊外学習でのことだった。当時12歳だった私は、そこで初めてみる世界の名画の陶板複製画の数々に圧倒された。

屋外で見る日の光を浴びたモネの「睡蓮」、思ったより大きかったピカソの「ゲルニカ」。それまで名前も知らなかったヨーロッパの画家の、日本をモチーフにした繊細な絵画達……。陶板から伝わる芸術作品そのものの美しさに加え、「これが現代の技術なのか」という、言葉にならない感覚で、開いた口が塞がらなかった。開いた口のままで4キロ歩いた。

2000年先まで在り続ける、半永久的に劣化しない「美」

私が29歳になった今も尚この美術館を愛して止まないのは、現代技術が惜しみ無く芸術作品の保持という1点に注がれていて、その情熱の厚みを身体で(というか足で)感じられる点。これに尽きる。それぞれの作品をじっくりと見ていると、1日ではとても廻りきれない。

これだけ大型の施設を作って維持し、また世界中から名画を転写して展示し続ける契約を結び、精巧な技術を用いて本物(もしくは作品完成当時の劣化していない状態)の色彩やタッチが再現されているという事。そしてそれがこれから先の長い間、色んな人の目に触れるのだという事。私はそれらの事実のスケールの大きさに、どうにもこうにもゾクゾクしてしまう。

複製ではない過去の芸術作品は基本的には経年劣化していくものだし、その衰えた部分や欠けて朽ちた部分も歴史的背景を含めて、美しさの一部であると評価されたりもする。しかし、この美術館には、半永久的に劣化しない「美」が、世界中から集められて、今後も在り続けるのだ。そんな施設は、他には無いと思う。朽ちるからこそ美しいのだという、それまでの固定観念を覆すだけの圧迫感が、この美術館には常にある。

コロナ禍というディストピアで、芸術は守られるのか

これからは当分、気軽に芸術作品を見るために海外へ旅立つことは出来ないだろう。正直、SFの世界に迷い混んでしまったのかと思うほどの、リアリティのない日々が続いている。

絵画や彫刻だけでなく舞台芸術なども含めて、ライフラインから遠いと捉えられがちな「美」という概念は全て、危機に瀕していると思う。現状、国内美術館の常設展示ですらフラッと訪れるのは難しいし、ミュージカルや古典芸能なども集客に制限が掛かっているので新規顧客を取り込む余裕はなくなっている。このコロナ禍というディストピアで、芸術は守られるのか。

いつか状況が落ち着き、家族で旅行に出掛けようという話になったら、私はまず、大塚国際美術館を候補に挙げようと思っている。橋を2つ渡った先にある、朽ちることのない世界の「美」を、身体で感じに行きたい。そして私は、この世界に何が起こっても、本質的な「美」は朽ちないものだということを感じて、少しでも安心したいなと思うのである。