26歳。私の周囲では今まさに、結婚・出産ラッシュの真っ只中。「かねてからお付き合いしていた○○さんにプロポーズしていただきました~!」とハイブランドの指輪の写真付きの芸能人のような投稿から、入籍報告、結婚式の振り返り、そして「ようやく生まれました」とくる。それに、私はいつも静かに「いいね」を押している。

一般的な女性が辿りそうな人生設計図への軌道修正は、ほとんど不可能

普通に現役で入学すれば大学を卒業するのが23歳。そこから普通に就職をして3年ほど経つと仕事にも慣れてきて、付き合ってる人がいればそろそろ結婚しようとなるのが一般的なんだろう。そんな私は一浪で大学に入学し、卒業後は一年の準備期間を経て留学を始めたので未だ学生だし、そしてノンセクシャルだから男性経験もない。ここから日本でいう一般的な女性が辿るであろう人生設計図に軌道修正するのは、ほとんど不可能である。

しかし私は小さい頃からわりと、綿密に人生の計画を立てるところがあって、私の人生は今のところ順調にその通りに進んでいる。むしろこれでも思っていたより早いくらいなのだ。しかし時々私の心の中にいる「ふつうの女になりたい私」が、『こんな険しい道を選んでなかったら、今頃誰かと結婚して子どもも授かってたかもしれないのにねぇ』と話しかけてくることがある。もし来世があるのなら、その可能性は来世の自分に託したいと思う。

ヨーロッパの大学の周りの生徒は、自由に人生を謳歌しているようで

ヨーロッパに来てからは、日本でいう”ふつう”とは全く違う価値観とたくさん出会って来た。そして日本での“ふつう”は世界共通ではなくて、日本独自のものなのだという発見もあった。例えば私の在籍する大学には様々な年齢の生徒がいる。若くて20歳から、上は30代の半ばくらいまで。「こないだ結婚したの!」と夏休み後に急に友達から報告されたり、結婚して娘を育てながら勉強を続けている人だっている。一方で、「私は一生、結婚しないから」と堂々と宣言する人もいたりする。私にはそれぞれが一般的な枠に拘らず、自由に人生を謳歌しているように見えた。

私がヨーロッパで勉強していることを日本で話すと、すごいなぁと感心してもらえるけれど、ヨーロッパ人からも同じような反応をされることがある。東アジア人がヨーロッパに住むことは今ではもう珍しいことではないけれど、アジア人慣れしていないヨーロッパ人も多く、時々彼らは少し遠巻きに様子見をしているような気配がある。そのとき日本とヨーロッパの物理的な距離を感じてしまう。私はラテン語系の言葉の挨拶の習慣にも慣れないし、たまにあるキリスト教の祝日の由来だって知らないのだ。

自分が納得できたなら。「人目を気にしなくてもいいか」と楽になった

けれど日本で息苦しさを感じていた私にとっては、やはりこちらの方が伸び伸びとしていられるような気がしている。自由に生きるヨーロッパ人たちを見て、「人目を気にしなくてもいいか」と気楽に考えられるようになった。私には私の人生計画があるし、それはどの世界の“ふつう“にも当てはまらないけれど、私が納得して楽しめているのならそれでいいじゃないか。

以前母に、「私は何をしたら親孝行になるのかな」と尋ねたことがあった。その時母は、「やりたいことを納得がいくまでやり尽くしたらいいよ。それが親孝行だよ」と言ってくれた。兄弟が3人いることもあって、きっと気持ちに余裕があるんだろうとも思ったけれど、そのとき私はすごく嬉しかった。

正直なところ、私は結婚するのも出産するのも諦めてない。一度しかない人生なら、人として経験できることは全部やり尽くしたいと思っている。音楽家としての人生、女の人としての人生、娘として、妹として、姉として、叔母としての人生。色んな人のふつうの人生の良いところを全部取り出して、楽しく生きていけたらいいな。