世間の求める普通、レベルが高すぎる。
これが私が社会人をほんのちょっと経験してみた感想。
朝起きられないではなく、朝起きて遅刻せずに出社しなければならないと思ったら夜眠れなくなって、不眠症の始まり。なんか思っていたのと違うと思い続けながら必死に会社に通った。お給料支払われているし。

思考停止の就活が終わったら、学生生活が終わるという絶望の始まり

今振り返って思うのはそれだけ。
就職活動をみんなよりも早く始めれば、内定をもらうのも早いかもしれない。と思ったし。
でも実際は私よりも遅く就職活動を始めた子の方が内定いくつか持ってたりして、卒論の制作のために出席していたゼミではいやでも顔を合わせなくてはいけないし。

そう思うと私よりも遅く始めた子の方が、自己分析なり「軸と呼ばれるもの」をちゃんと見えていたのかもしれないなって。「めんどくさがり」を具現化したような人間である私はその過程を放棄した。幸せの放棄とも似てるかもしれない。

書類選考や面接で落とされまくっていた私は、終盤、いわゆる「思考停止」していたし、
「受かればどこでも良かった」だった。
そして特に望んでいたわけでもない会社の面接に受けに行って、社員として働くことが確定した。絶望の始まり。

内定を経てから、大学を卒業してしまうのが本当に嫌でしょうがなかったけど、拙くてしょうがない20,351文字、原稿用紙にして72ページ相当の学生最後のイベントをやり遂げてしまった以上、卒業した。
人生でもう二度と戻ってこない学生生活、私なりに楽しんだつもりだけど、もう少し楽しめれば良かったなと少しの後悔も添えて。

「価値を感じない」会社の研修でここを去ることを悟り、4ヶ月で退社

そしてこんにちは、会社員の私。もう1日目で辞めたかった。
退屈でしょうがない仕事内容、誰のために何のために拘束されているのかという時間と、高校3年生以来のフルタイムでの活動。大学4年間は4年間毎年、半期ごとに作る時間割で全休の日を必ず設けていた。それくらい体力に自信がなかった。それは置いておいて。

会社の研修で仕事の技術面ではなく、考え方についての1コマ。
「人間は価値を感じないものについて動けない」
そんな内容だった気がする。

もうそのスライドを見かけたとき
「あ、私もうここを去るだろうな」と何かを悟り、その直感は現実になり、8月某日、夏の暑さとともに私の会社員生活は終了した。

私が辛いと感じていた理由は、その仕事内容に、業務に
「価値を感じなかったから」
苦痛の正体発覚。

たった4ヶ月で仕事も覚えていないのに、語る資格もないかもしれないが、時すでに遅し。その思いのまま退職。応接室に招かれ、もう行くことのない会社を後にした。

私の人生もポテトチップスみたいに味がついてたらよかったな

それから、ゆっくりと時間の流れる無駄な日々を謳歌している。
褒めてるんだか、けなしてるんだかわからないけど、実質、そんな感じだ。
今まで「めんどくさい。」と思ってしてこなかった料理をしてみたり、会社員時代に出来なかった髪色を試してみたり、何か欠けている気もするけど、それなりに幸せ。そんな日々になった。

行き帰りの電車で泣きながら出社していた時にはどうなるかと思ったけれど。
私は今の人生の方が生きている感じがする。

私なりに生きてみた感想。今の時点での実感として。普通ではないのかもしれないけど。
味でもついていたらわかりやすかったのかもしれない。ポテトチップス、普通味。みたいな。

普通味、つまらないと思う人もいるかもしれないし、普通味どんなだろうってワクワクする人もいるかもしれない。書いていて思った、食べてみたいな普通味。

わたしが好きなものに普通が存在しないから、普通ってやっぱり難しいなと思う。
小説も、映画も、ドラマも。説明するのが難しい概念だと思う。

結局まとまらないが、それでもいいのでは。
卵焼き普通味だって甘いかもしれないし、しょっぱいかもしれない。
みんなそれぞれ違う感覚の持ち主だから。
普通味がないように。