私には優秀な兄が2人いる。長男は地元の難関高校から、浪人しながらも偏差値も就職率も高い有名私立大学に進学した。次男は大学進学を夢見ていたが、父からの助言で高校卒業とともに国家公務員になった。両親はそんな兄達を誇りにしている。

高校も大学も塾に通わず、国公立に受かったことが私のプライドだ

浪人や大学に行かない選択肢が悪いことではないことはよく分かっている。でも、塾に1度も行くことなく地元の国公立大学に合格した私は誰に認められたくてこの道をえらんだのだろう。

昔、中学校の先生に「お前はプライドがないのか。もう少し自我を持て-」と怒られたことがある。「高校なんて公立で入れるとこならどこでもいい」と先生に言ったらそんな言葉を投げつけられた。プライドがない人間なんていない。でもたった15年しか生きていない自分が大学まで見据えて高校を決めるなんて無理だった。とりあえず親と担任に言われるまま家から歩いて通える公立の自称進学校に入学した。

高校も大学も塾に通わず、国公立に受かったことが私のプライドだ。でも大きな世界に出てみればそれは石ころレベルのプライドで、すぐに蹴飛ばされてしまう。

一方的な愛。私だって親孝行したい。でも期待されていない

冒頭に戻るが、兄2人が両親から過大な愛を得られるのは将来が安泰だからだろう。勝手な憶測ではあるが、老後は息子たちからの支援で生きたいと思っているのではないだろうか。ここまで育ててもらった恩もあるし、人として尊敬できるから私だって親孝行したい。でも期待されていない。こんなに一方的な愛があるだろうか。

小さい頃からふつうの家庭でふつうの愛情をうけて、真面目すぎるのが難点ではあるがふつうの人間として育ってきた。ただ、近くに比較対象がいて、いつも自分を卑下することでしか存在価値を見いだせなかっただけだ。

私は家族が大好きだし、尊敬している。でも、明らかにバカにされていると感じることも多々ある。この先、この人達と一生付き合うとして、このままでいいのだろうか。ふつうの家族関係が分からなくなる。

初めて私のことを褒めてくれた彼氏。自己肯定感の強さに衝撃を受けた

大学に入ってそんな私を認めてくれる人に出会った。初めて私のことを褒めてくれた、初めての彼氏だ。

彼もだいぶ育ってきた環境が複雑で、だからなのか自己肯定感がとても強かった。自分で自分を肯定することで周りからの反応も変わる、という持論をもっていてそれがとても新鮮だった。人と少しでも違うことをするのが不安で、周りからの目を気にしすぎて生きてきた私にとっては、自分を認めるということが大きな1歩すぎた。でも「自分を好きって思わない人はふつうじゃないよ」と言われ衝撃を受けた。自分が執着していた「ふつうであること」がふつうではなかった。今までの生き方がすべて間違っていたのか。どれだけ考えても正解が分からない。

ただ今になって分かることは、ふつうの基準は人によって違って、その基準の差が価値観に繋がるのだと。価値観が違うっていうのは芯に持っている基準が違うのだから仕方ないことなのだ。あと、自己肯定感を高めることで人としての存在価値を手に入れることができることもあながち間違ってはいない。自分が正しく素晴らしい人間だと思うことができれば、周りの目なんか気にならなくなるのだから。