心拍を知らせる規則的な機械音が手術室内に響いている。左横から当たる手術ライトが熱い。壁のデジタル時計を盗み見る。手術開始から、1時間が経過した頃だった。
大腿骨(だいたいこつ)という太ももの骨を折った高齢男性の手術中、単純作業の工程に入った医師達が雑談を始める頃だった。今日の手術医チームは4人。執刀医、第一助手、第二助手、第三助手。第三助手である私以外は、全員男性だ。
外科医として、そして「女性」として生きることは、不可能なのか?
執刀医は手元に目線を固定したまま、私に話しかける。「研修してみて分かったと思うけど、外科って大変じゃない? 体力は大丈夫?」皮肉ではなく、純粋に私の体力面を心配してくれているようだった。
確かに外科は体力勝負の面もある。手術が予定されている日は、朝7時前に病院に来て患者さんの様子を見て手術内容の確認をし、朝のカンファレンスをこなし、9時には手術室に降りてメスを持つ。
手術はチームスポーツだから、エースである執刀医の動きをうまくアシストするように、切る範囲を慎重に広げ、出血を最小限に抑えるよう素早く動く必要があった。順調にいけば予定時間内に終わることもあるが、予想以上に手術部位が複雑化していたり、出血量が多くなってしまったりした場合には、大幅に時間が伸びてしまうこともある。
お昼ご飯を12時に食べられることはまず無いし、同期の研修医との飲み会も何回もすっぽかした。でも、約束の相手が怒ることはない。「彼女は今、外科で研修しているから」この一言で、全員が納得してしまう。
「女の子で整形外科を研修するって珍しいよね」第一助手も言う。
「外科に興味があって、研修させていただいてます」切られていく患者の太ももから目を離さずに、私は答える。
すると「珍しいね」第二助手も手元から目を離さずに返答する。「女の子は普通、内科とか行きそうだけど。妊娠出産とか、やっぱりあるしさ」
私は「どうなんですかね」感情を押し殺して答える。
「外科に進んで、生涯独身でも全然いいとは思うけどね。俺は」この言葉に対して、私は返答をするのをやめた。話題は逸れ、チームは第三助手を置き去りに内輪の会話を始めた。
手術に命をかけている女性の整形外科医は、私にとって憧れの戦士だ!
“女は結婚したら家庭に入るべきである”という古い固定観念は、医療現場でも根強く残っていた。そして、それは女性医師をいとも簡単に傷つける。
整形外科にいる唯一の女医は、後ろ髪を刈り上げるほど髪を短くしており、サイズの大きい服を着て、砕けた口調で患者さんと話す人だった。「女を捨てている」と陰で揶揄される時もあったが、私にとって彼女のスタイルは眩しかった。
手術に己の命をかける覚悟が、刈り上げた後ろ髪に現れていると思った。医者は、男社会である。特に外科では、その傾向が顕著だった。妊娠出産で休むからという理由で、女性医師は手術チームから外され、技術を教わる機会もいつの間にかなくなり、出世ルートから外れる。
そんな環境の中で「それでも外科医として生きていきたい」と決意し、髪を切り、男のように振る舞う彼女は、数々の戦いを勝ち抜くための技を全て身につけた戦士のようだった。強く美しい彼女を揶揄する男医師連中に「一度でいいから男を捨ててみろ」と言いたかった。
私は家族と患者さん、どちらとも「幸せ」を分かち合いたい
車椅子で来院した患者さんが、歩いて自宅に帰っていく。この光景を見る旅に、こんなにも素晴らしい医療はあるだろうかと私は感じていた。
でも、それと同じくらい、生涯のパートナーを見つけ、子供を授かり、家族と過ごす時間もかけがえがない。
どうして男性医師は両方を手に入れられるのに、女性医師はどちらかを選ばなくてはいけないのか。そして、どうしてどちらかを選んだにせよ、その選択について揶揄されなければいけないのか。
私は普通を超える。自分は女性であり、結婚も出産もする意思はあるけれど、外科医にだってなりたい。家族と一緒に宝物のような時間を過ごすのと同じくらい、自分の足で歩けるようになった患者さんと一緒に喜びを分かち合いたい。
外科の体質が今まで変われなかったのなら、これから変わっていけばいい。そして、私のように古臭い偏見で擦り減る女性研修医達が、少しでも減ればいい。