私の地元は、阪急電車の大阪梅田駅から数駅離れた場所だ。関西出身でない人には、分かりにくいかも知れないが比較的都会だ。
小学校へは徒歩5分で着くし、スーパーも徒歩で行ける所と自転車で行ける範囲にある。最寄駅は3つあり、1番近い駅まで家から徒歩8分だ。
何がいいたいのかというと、車が無くてもとても便利な場所に住んでいるという事だ。

遊びに行くといえば、梅田に映画やショッピングに行ったり、大人になれば、居酒屋に足を運んだり、終電で帰っても駅近だからすぐに家に着ける。遊ぶ場所にも困らなかった。

地元で就職した会社は、実家から近かった。暫くして、京都に異動になった。私は地元から、1時間半かけて京都まで出勤することになった。

幸せな実家生活を捨てて、「一人暮らしをしてみたい」と思った

私にとって、地元の電車といえば阪急電車だ。最寄駅も阪急電車で、座席の緑色のカバーが大好きだ。手触りが良くて、ベタつかない。ずっと手で触っていたくなる。JRよりも京都に行くなら、阪急の方が少し運賃も安い。良いとこ尽くしだ。

地元には実家がある。私の家族は核家族なので、両親と兄弟と一緒に住んでいた。家に帰れば、必ず誰かがいて、しばらく待っていれば、誰かが帰ってくる。そんな家だった。

京都に仕事で通うようになり、帰宅時間が以前よりも、1時間ほど遅くなってしまった。我慢すれば、精神的にも肉体的にも大したことはないのだが、どうしても、ある一つの考えが浮かんでしまった。

「一人暮らしをしてみたい」

交通の便も良くて、遊ぶ場所にも困らなくて、生活を支えるスーパーも近くて、何不自由のない場所、それが私の地元。しかし、それでも一人暮らしをして、多少の苦労を味わいたいと思ってしまった。このまま地元にいても、私は何も成長できないのではないかと危機感を持ったからだ。

当たり前に思ってたけど、見えないところで父や母の苦労があったんだ

一人暮らしをすることで、私は何かを変えることができると思っていた。親の所有する家で暮らし続ける事や「食費は払っても、払わなくてもいいからね」と私を優しく甘やかしてくれる母、気づけば夕飯ができている食卓。何もかも楽で、辛いことは仕事で起こる出来事くらいだ。これでは、私はなんの苦労もしない人間になると思った。

私は、働いて一人前の自立した社会人になったつもりだった。しかし、お金を多く稼ぐようになっただけで、家事や家賃、食費など、生活に関わる全ての事を、家族に依存していた。

本当の意味での、自立を目指そうと思った。だから、京都で一人暮らしをする事を決め、実家から離れて、生活費を稼ぎ、一人で家事や買い物、料理を作るようになった。

地元や実家は、“自動でご飯が出てくる場所”なんかではなく、私の見えないところで、父が仕事に励んだり、母が買い物に行ってくれていたのだ。その当たり前の苦労を私は知らない。だから、自分でやってみないと気づけなかった。

地元が大好きだけど、自分が「成長した」と思えるまで帰らない!

私にとって地元とは、甘えの象徴のように感じてしまった。不便な田舎から出てきて都会で仕事をしている方とは大違いだ。彼らのいう地元とは、すぐに帰ることが出来ない場所。新幹線や鉄道を使って長時間かけて帰ることになる。地元が遠いからこそ、相当な覚悟を持って都会に引っ越してきたんだと後になって理解した。

きっと、彼らのいう地元は、私以上に都会ですり減った心を芯から癒せる場所になるのだろうと思った。

今でも地元にある実家では暮らしていない。けれど、どこかで実家に帰って親に甘えたい気持ちはある。でも、それを許さない自分がいる。人は一度堕落すると、元の生活に戻ることが難しいと聞いたことがある。

地元はまるでぬるま湯のようだ。長く浸かって体を温めていたいと感じる。でも、ぬるま湯に浸かりすぎると、手足がふやけてしまう。

今でも実家が大好きだ。でも、まだ地元に帰るにはもう少し、私が成長したと思えるまで帰れないと心に決めている。