「その年で何言ってんだ!子供も産まねぇで!」

頭をハンマーで殴られたような衝撃が走るほど破壊力のある言葉だった。
こんなことをまだ本気で言う大人がこの世に存在するなんて……

未だ残る「女は結婚して子供を産むべき」というレッテル

それは26歳の冬、地元のスナックでアルバイトをしていた時の客との会話だった。

私が働いていたスナックはママがこの道30年の地元じゃ少し有名な大ママで、付き合いの長いお客さんはママと同じ60代前半からもう少し上の70代くらいが大多数を占める。
私の地元がかなりの地方ということもあって未だにその年代の人達は男尊女卑の考えが抜けない部分があるし、会社では到底言えない、けれど思っている不満などをぶちまけに来る人もいた。

その男もその一人。

発端はその客との会話で何故スナックで働いてるんだ? と聞かれたことから始まった。
スナックではよく聞かれる当たり障りのないセリフだし、とっくに聞き飽きている質問に私はいつものように答える。
「世界一周をしたいからお金を貯めているの」と。

いつもだったらふぅん、とかそれいくらかかるの?
なんて鼻で笑われるか現実味がないね、と言われるだけだった。が、この時ばかりは違った。

冒頭の言葉に続けて男は言う。
「その年ならふつう、結婚して子供を産むべきだろう。世界一周? そんなのいい歳の女のする事じゃない。夢ばかり見るな!」

到底、現代味の無い言葉に絶句した。
呆れ果てて言葉が出なかったのだ。
私は聞く気にもなれず無視をしていたら、ぐうの音も出ないとでも思ったのか男は続け様に「ふつう女なら」「女らしく」という言葉を吐いていた。

女なら子供を産むのがふつう?
結婚するのがふつう?
家庭から出ないのが女らしさ?
旅に行かないのが女らしさ?

「らしさ」「ふつう」という名の元に貼られたレッテル。そのレッテルにどれだけオンナ達は肩身の狭い思いをして、苛立ちを感じているだろうか。

家庭に入らなくたって女磨きを怠ったって、私たちはオンナだ 

じゃあ一体何が「ふつう」なのだろうか?

今や世界では若い女性の活躍の場も増えたし、女性の兵士もいる。女性の大統領が産休と育休を取る国もある。
(世界で言ってしまえば日本より男尊女卑が激しい国こそたくさんあるけれど……)

女は家事も育児も仕事もして当たり前。
女は化粧をして着飾ってようやく女。
女はムダ毛が生えていない生き物?

私はそんなものに徹底的にNO!を叩きつける。

家庭に入らなくたって多少女磨きを怠ったって私たちはオンナだ。
この険しい国、険しい時代で戦っている。
なぜそれが分かってもらえないのだろう。

そんな考えが頭の中をぐるぐるしながらも出た言葉は一言だけ、
「そこまで言われても私は海を越えるよ」

26歳の私の決意はそんな言葉はで揺らぐことはなく、むしろ魂に火をつけ、その言葉通り私は一年後、世界一周の旅に出た。

私が超えたのはどうやら海ではなく「ふつう」だったようだ

海外、その非日常の世界では日本での日常の『ふつう』など到底通用しなかった。
ヤモリや虫との共同生活、続く断水でシャワーを浴びれない、化粧品? 旅の途中で邪魔で捨てた。
衝撃的なことが連日起こる海外で、日本でいうところの女などとっくに捨てていた。

街のマーケットは異臭がするし、ゴミが散乱してる。
公共バスは時間通りに来ない、むしろ時刻表が存在しない。

そんな日々でも現地の人々とも仲良くなり、話しているとほぼ必ず聞かれる、何歳? 結婚はしてるの? の質問。
(ここでもか……)
と内心思いながらも習いたての拙い英語で答える。
「28歳になったよ。結婚はしてない。世界一周してるところだからね」

ここでも頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
なぜならば彼らが言った言葉は「great!」や「nice!」などポジティブな言葉だったから。

あ、否定されない……? え、なんで?
だって28歳って言ったら否定されるものじゃ……

彼だけではない。話す人々はみな、年齢や性別など関係なしに関わってくれる。
もちろん肌や目の色も関係ない。
そこは年齢や性別の垣根はなかった。
日本ではないこの土地では日本の『ふつう』のレッテルですら通用しないのだ。

突然の「ふつう」の変化に最初こそ戸惑いもしたが、海外では過ごしていくうちに年齢や性別を気にしないことが私の「ふつう」になっていた。

きちんと身なりを整え小綺麗な服を着て、波風を立てないように生きていく。
そんな私はどこかに行ってしまった。

ヨレヨレのTシャツを着て、重たいバックパックを背負って泥臭く歩く。
でもその時の表情はどこか誇らしく凛としていだだろう。
年齢や性別に縛られていた事がいかに狭い世界の話であるかを思い知った。

海を越え帰ってきた私はあの頃より少し大胆に、そして、逞しくなっていた。
なぜならば日本人によって貼られている「ふつう」というレッテルが私にはもう通用しないからだ。

私が超えたのはどうやら海ではなく「ふつう」だったようだ。

もう私はじっとなどしていられない。
なぜならば私たちオンナは信念や勇気があれば「ふつう」を超えてどこまでも飛び立てることを知ってしまったから。

日本でも、海外でも。
次にふつうを超えるのは貴方の番。
さあ、準備はいい?