全知全能の神ゼウスに女神アフロディテ。人々の崇拝の対象であるとは思えない自由気ままな神々の物語に、当時小学生だった私は魅了された。大学生になった今でも、その世界観は忘れることができない。

2021年、私はギリシャ語習得に挑戦し、ギリシャ神話を原著で読んでみせる。

私の家は貧乏であったが、本だけは好きなだけ買って貰え、両親は子供達に積極的に買い与えた。私が幼稚園生のとき、そんな両親から何かのお祝いで図鑑がプレゼントされた。最新版の新品で、ひらがなもろくに読めなかったため写真しか見ていなかったが、暇さえあれば飽きずに眺めるようになった。図鑑は何冊かあり、私のお気に入りは動物と昆虫の図鑑だった。

星座の図鑑もあった。けれど、最初に貰ったときパラっと目を通したぐらいで、その後は手を触れることさえなかった。アウトドア好きな父に連れられ、それまでにも何度か星空観察に行ったにも関わらず、毎回どの星がどの星座なのかちっとも分からなかったことが、星座に対する興味を失くした理由だろう。

小学生のころ、ギリシャ神話に魅了された

図鑑がプレゼントされてから何年か経ち、私は小学生になった。ある日どうにもやることがなく暇で退屈していたとき、ふとリビングの隅に放置された星座図鑑に手が伸びた。図鑑の縁や表紙にはこんもりと埃が積もり、ハウスダストアレルギー持ちの私には触るのが躊躇われるほどだった。

それでもなんとなく読んでみる気になっていた。初めのページから1枚ずつめくっていった。「春の星空」「夏の大三角形」「天の川」。どれも綺麗な写真だったけれど、最終的にはただの光る点の集まりに見えてしまう。「やっぱりつまらないか」。そう思い始めたとき、そこだけ枠で囲まれて区別されているコラムの欄が目に留まった。それは、そのページに掲載されている星座にまつわるギリシャ神話だった。面白いと思った。さらにページをめくっていった。別のコラムを見つけた。やっぱり面白い。

私は夢中になって、あっという間に全てのコラムを探し読んでしまった。ギリシャ神話にこんなにも魅せられたのは、魔法や妖精といったおとぎ話が好きな私にとって、その世界観が私の好み以外の何でもなかったからだろう。

さらに言えば、小学生というのはそういったファンタジーの存在に多少なりとも疑問を持ち始めた頃であった。その時期に、「神話」という人々の崇拝する神の物語がファンタジー的に描かれているという事実を知ったことは、私にファンタジーの存在を認めてもいいという自信を与えたかもしれない。とにもかくにも私はギリシャ神話に魅了され、その後も幾度となく読み返してはその美しくも自由気ままな神々の世界に浸った。

「ギリシャ語履修」残されたチャンスは来年のみ

さて、月日は流れ、2020年、私は大学生になった。
生まれて初めて自分の好き勝手に時間割を決められることに興奮しながら履修登録を始めたが、必須科目を登録し終えると、ほとんど上限単位数に達していた。自分の興味ある講義だけを取れるのではないと知り悲しかったし、もう受講する余裕は無かったが、一応自由選択科目の欄にも目を通した。特別外国語演習の1つとして、「ギリシャ語」の講義が開港されていた。

このことを知った時、すぐに「ギリシャ語を習得すればギリシャ神話を原著で読める!」と感動した。しかし、今年度の私にその余裕は無い。また、再来年度は別のキャンパスに移る予定で、もうその講義を受講することはできない。
残されたチャンスは来年のみ。来年こそ、ギリシャ語に挑戦し、ギリシャ神話を原著で読破してみせる。