つくづく音楽が好きだなと思う。朝(正しくは昼)起きてから、夜寝るまでずっと考えている。ストレッチをして、リズムトレーニングをして、ヴォイストレーニングをして、ギターを弾いて、ピアノを弾いて‥。「次はどんな曲を作ろうか?」「どんな練習をしようか?」そんなことで毎日頭がいっぱい。
最初はたんなる好きで始めた音楽だけど、真剣に向き合って約7年、今や私にとって音楽は趣味の延長ではなく、自分の軸となる考え方や価値観を教えてくれるバイブルのような存在だ。

小さい頃から「頑張る」というのは肩肘張って、息が詰まりながらも走って、全身にグッと力を入れてやるものだと思ってきた。
小学生の時は、私立中学受験のための学習塾に毎日夜の9時まで通い、そのための宿題をこなすために、昼休みは友達と遊ばずに図書館で勉強した。
中学生の時は、痛い痛いと思いながら、通っていたダンス教室や家で、硬い身体を無理矢理ストレッチした。
高校生の時は、自分が先生で在るために感情的になる先生や、声が大きくて、ハキハキ喋る、頭の良い、でも自分より下だと思った相手を見下す同級生らと我慢しながら付き合った。

それが当たり前のことで、頑張ることなんだとずっと思ってきた。

心から楽しいと感じるのはズルではなく、頑張っているということ

私が今の音楽の先生に言われることは「リラックスすること」「遊び心を持つこと」私が心から楽しいと思う時、それが頑張っているということ。
私はこのことを受け入れるまでにすごく時間がかかった。私にとって「楽しい」という感情はなんだかいけないことをしているようで、ズルをしているようで、よく分からないけど難しい。

でも、そんな感覚を知ってから、私はスキップするような毎日があることに気づいた。「努力」とか「苦しい」とかそんなものがなくても良いものが作れる。むしろ、自分にとっては、そちらの方が合っている。

そんな世界があることを教えてくださった音楽の先生に、私はとても感謝している。私のことを理解し、そのままを受け入れてくださる先生に「愛している」と言うのは語弊があるけれど、先生との出会いが自分の人生における大事な出会いであることは間違いない。

音楽を楽しめているのはたくさんの人の支えのおかげ

そこでふと思った。そんな私の音楽のあれこれを支えてくれている人たちのことを。
ひとくちに支えてくれていると言っても、色んな支えがある。
両親からの金銭的な支え。ライブやSNSであたたかいコメントをくださる方の支え。「応援してるよ!」と言ってくれる友達の精神的な支え。
そして、なにより私の作品作りにおいて、的確なアドバイスと愛のある言葉をくださる音楽の先生の支え。
私の生活で当たり前になりすぎて、改めてありがとうを言うには照れくさいたくさんの支えがある。

今日も私はたくさんの愛する人と、愛してくださる人と、スキップしています。