「感染者数過去最多」の状況下で、最愛の彼とお別れをした
春が終わりを告げる頃、「この人と生きていきたい」初めてそう思えた最愛の彼とお別れをした。
電話越しに暗い彼の声を聞いた瞬間、臓器のすべてが一気に冷たくなり、ストーンと落ちて消えてしまったかと思った。
足元の地面が無くなったように立つこともままならず、世界に裏切られたような気持ちになった。
自分が生きていること、世の中のものすべてに心底嫌気が刺した。
「感染者数過去最多」の文字を毎日のように見かけるこの状況下で、頼りの友達には会えない。どこかに出かけることも憚られる。ていうかもはやそんなこと関係なくめんどくさいわ。
行き場なく、ただひとり、うす暗い部屋の布団の中。
何がいけなかったんだろうわたし何か悪いことしたかなあれがいけなかったかなこれがだめだったかないやでも彼だって悪いよなわたしこのままひとりなのかなわたしはしあわせになれない人間なのかな
不安に襲われる度に、幸せを掴むメソッドが書いているブログやSNSを漁っては、ある言葉に安堵し、はたまた別の言葉に焦り落ち込む日々。
汚れた水槽から顔を出し、口をパクパクさせて呼吸する金魚のようにわたしは探す、幸せ幸せ幸せしあわせしあわせしあわせシアワセシアワセ…
はっと我に返る。
もう、疲れた。
自分の頭の中から逃げ出したい。だめだ、むりだ、くるしい。
逃げるように起き上がり、でも行き場がなくてベッドの脇の本棚の前に立ち尽くす。
無表情に並ぶ背表紙たちの中から意図もなく、目の前にあった本を手に取った。
少し前に買って読みかけたままのエッセイ集だった。
パラ、と適当に開き、文字を追う。
そういえば、わたしは本が好きなのに最近読んでいなかったな、と思い出す。
他人の日常を読んでいるうちは、自分のことなど忘れられた
そこにあったのは、他人の日常。
旅に行った、犬を見かけた、変な物を買った、友人とこんな話をした。
どこにでもある普通の毎日。
綴られたエピソードはみな柔らかく穏やかで、こんなやさしい世界がこの地球のどこかにはあるんだと思うと、ひどく安堵した。
何より、他人の日常を読んでいるうちは、自分のことなど忘れられて、楽だったのだ。
それから毎日、なんとか仕事の1日を乗り越えたあとは、布団の中で違う誰かの日常をなぞった。
ある朝、出勤途中の下り坂を歩いていると、ふとした瞬間に頭の中で声が響いた。
今日は風が気持ちいい。
風に揺れて擦れ合う葉っぱの音がさらさらと心地よい。
幼稚園にはしゃぎ駆け込む子どもの歓声がくすぐったい。
響く声は、他の誰でもないわたしの声だった。
気付かなかった。
いや、知っていたのに忘れていた。
幸せは、どこかの世界にあるものじゃないんだった。
何かを得ることでも、誰かと一緒にいることでもない、探しに行くものでも、欲しいともがき縋るものでもない。
わたしの世界は既にもう、こんなに豊かで満ち溢れている。
ああ、もう、どうして忘れていたんだろう。
どうしてこんな大切なことを取りこぼしていたんだろう。
身体に戻ってきたあたたかさに涙を浮かべながら、思い出せたのは多分、エッセイの中の、日常を豊かに掬い上げた言葉たちのおかげだと思った。
そしてそれを読むうちに、自分の中にもそのリズムが生まれていたのだ。
日常をふくよかにするのは他の誰でもないわたしの言葉だから。
未曾有の事態に陥った2020年。
これからもどうなるかわからないし、不安は数えればきりがない。大切なことはつい忘れてしまうと知った。
だからこそ、わたしは忘れないように言葉にしたい。
幸せは、他のどこでもないここにあって、日常をふくよかにするのは他の誰でもないわたしの言葉だから。
2021年、わたしの宣言。
「毎月エッセイを書く」