11月13日。今日、生まれて初めて自分で自分を散髪した。前髪だけでなく、横と後ろも。
2年前にベリーショートにして以来、ただ徒らに胸の辺りまで伸ばし続けた髪の毛は無駄に艶やかで、束になって落ちた毛先がごみ箱の中で輝いている。まだ生きているようなそれらを見つめながら、髪の毛と共に歩んできた2年間の日々を静かに振り返った。
ベリーショートにしたきっかけは、当時仕事で失敗ばかりしていた自分自身に失望しかけ、このままでは駄目だとハッとしたことだった。衝動的に駆け込んだ美容院で、そこらの男子よりもずっと短く鋭いヘアスタイルを得たわたしは、その後、生まれ変わりましたと言わんばかりの業績を立て続けに上げた。「断髪」した甲斐があったと誇らしかったし、自分もまだ捨てたもんじゃないと安心した一方で、急に髪型と雰囲気を変えて猪突猛進に仕事に打ち込むわたしを見た周囲の人々が若干引いているような、そんな気配を感じて寂しくもなった。
伸びてしまった髪の毛なのに、なぜそれが「女性らしいね」と評価されるのか
1年も経つと鎖骨の辺りまで髪は伸び、それに比例して周囲の人々の視線も温かくなった。まさに雪解け……知り合いからも、見ず知らずの人からも話しかけられる頻度が増え、「女性らしくなったね」と直球で言ってよこす者もちらほら。
この頃わたしが最も腑に落ちなかったのは、美容院に行くのが面倒くさくて放置した結果伸びてしまっただらしない髪の毛なのに、なぜそれが「女性らしいね」と評価されるのか、ということであった。ただただ怠惰なだけなのに。わたしには2歳年下の弟がおり、ヴィンテージの古着愛好家である彼のヘアスタイルは若かりし頃のジョニー・デップ氏さながらのウェーブのかかったセミロング。いつもムースで毛先を固め、艶やかさを保つためのトリートメントも欠かさないようなマメな奴であるが、父や母に言わせれば「男が髪を伸ばすなんて、だらしがない」「いったい何を考えているんだ」「分からん、分からん」。男だからという理由で美的センスを否定されてしまう弟に対して、もの凄く申し訳ないような、いたたまれない気持ちになってしまう。
ベリーショートか思い切り伸ばすか、どちらかしか経験したことがなかった
更に時が経ち、伸びた髪をひとつに束ねるのが自分の中で定番になってきた頃、ヘアドネーションというものの存在を知った。既定の長さ以上に伸ばした髪の毛を一気に切って所定の団体に寄付すると、それが医療用の鬘として利用してもらえるボランティア活動である。教えてくれた友人は3年ごとに30センチずつドネーションをしており、次で4回目らしい。「髪を切りたい気持ちや理由がないなら、ドネーションできるまで伸ばしてみればどうかな。自分の髪が知らない世界で誰かの役に立つって、素敵よ」と語る彼女の瞳は真っすぐで澄み切っており、圧倒されたわたしは「そうだね、そうする」と頷いた。いや、高らかに掲げられた「正しさ」のようなものが眩しすぎて,思わず首を垂れた、と言ったほうが正しいかもしれない。
それから半年ほど、順調に伸ばし続けた髪の毛。ドネーションできる長さに到達するまであと何か月かなぁと楽しみに思う気持ちと、今こうやって髪を伸ばしているのは友人の勢いに流されただけであり自分の意志ではなく、つまりドネーションも偽善になるのでは、という後ろめたい気持ちとが、脳内に同居する日々。もじゃもじゃと縺れたように悩む頭からすくすくと生えてくる直毛を指で触りながら、そういえば自分は今までベリーショートか、思い切り伸ばすか、そのどちらかしか経験したことがなかったなぁと気が付いた。
元々完璧主義寄りで、何に関しても白か黒かをはっきりさせておきたい性格ではあるが、思えば自分が選択してきた髪型も同じく両極端で、つまりその時々に自分が周囲からどう見られたいかというメッセージでもあったのだ。もう失敗はしません、という意志と覚悟を周囲に見せつけるために決めたベリーショートと、なんとなく自分も社会貢献している人だと見られたい思いで伸ばした今の長い毛。
不思議と心が穏やかで、早く明日を迎えたいような気分になった
そのとき、たまたま視界に入った大きめのはさみ―――自分で好きな長さに切ってみようかな。失敗したらまた美容院で短くすればいいんだし、ドネーションも誰かと確約を交わしたわけではない。それまでの縺れた思考がフワッと解けて、気が付いたら洗面台の鏡の前で髪を切っていたのだ。そして今に至る。
短くも長くもない、首のちょうど真ん中くらいまでの長さに切りそろえられた「古風な」髪型の自分は、ここ最近で一番幼い顔付きをしているように見えた。確か幼稚園に通っていた頃は、こういうおかっぱ頭じゃなかったっけな。髪を切り終えた後、普段なら美容師さんに「このような感じでどうでしょう」と聞かれるところだが、当然今日はそれもなく、まだいくらか切り残した毛をチョンチョンとカットしてそのままシャワーを浴び、少し早いがそのまま眠りについた。不思議と心が穏やかで、早く明日を迎えたいような気分になったのだ。
後日、久しぶりに会った弟から、この全くお洒落ではない髪型をえらく褒められて少々困惑した。彼曰く、「いい人そうな顔しているよ。嘘とか、つけなさそう」とのこと。