同じ人の精子と卵子で細胞分裂したのに、どうしてこうも違うのだろう。似てない妹のSNSには一般人のくせにフォロワーが1000人近くいて、一方私は4人だけ。そのうち友達は2人だ。

私の妹は美人で、所謂陽キャで、家族に対しては末っ子なのもあってクソほどわがまま三昧だけど、それでも許されるような愛される人間だ。生まれながらにして見た目が可愛くて、愛嬌もあって、みんなに好かれる。

そんなナチュラルボーン愛され人間が近くにいる人間は捻くれるのがほとんどだと思う。というかそうであってほしい。妬みとか嫉みとか格差とか贔屓とかに対して人一倍敏感で繊細で面倒な人間になってほしい。だって、私がそうだから。命の重さは平等でも、人の美しさは不平等で、だから、私は妹が大嫌いだ。

私が今幸せになった理由は、大人になったから

美しさと幸福度はどうやら比例するらしいけど、美人ではない私でも、現在は幸せに暮らせている。幸せの感じ方は人それぞれだと思うので、私の感じる幸せが万人の幸せかは置いといて、如何にして私が幸せを手にする事が出来たのかを書こうと思う。

この文章が誰に読まれるかわからないし、公表されないのかもしれないんだけど、もしかしたら今、コンプレックスを拗らせて私なんか幸せになれない、私なんかああだしこうだしって思い悩んでる捻くれ仲間がいたら、捻くれの先輩婆として一つ話がしたいのだ。
私が今幸せになった理由。それは大人になったからだ。

母親に付いていった買い物で母の知り合いに偶然あった時や、習い事の時間、運動会のお昼休み。私と妹を見比べる大人の視線が私を一層拗らせた。だけど、子供だから家族から離れられない。両親は激しい喧嘩をする人達だったので、万が一両親が離婚したら妹がついていく方とは別のほうについていこうとは決めていたけど、結局離婚はしてくれなかった。

私は私の家族を作ることで幸せになれた

ようやく妹から離れることができたのは、私が大人になってからだった。社会人になって一人暮らしをして、ようやく離れられた。

人間関係バリバリに密な田舎町から抜け出して上京したので、誰も妹の事は知らなくて最高だった。仕事はブラックで生理休暇で休んだら別日に出勤させられるようなダメ会社だったけど、妹のしがらみがない私の人生はこんなにも楽で自由なんだと思った。当時、22歳。田舎町では第一次結婚ラッシュが起きていた。

私は28歳までには結婚したかった。なぜなら、その辺りから田舎ではお宅のお嬢さんは結婚はまだなの? と嬉々として聞いてくる奴が増えるからだ。他人の視線を気にして生きてきた私にとって、回避できるマウンティングは努力してでも回避したい。大学生の時から始めた婚活で、結婚候補相手は見つけていた。
その人とは25歳で結婚。不妊治療で病院通いもしつつ27歳で出産。夫によく似たおちょぼ口の娘はとても可愛くて、大変だけど毎日楽しい。
目標の28歳までに結婚する事も叶ったし、私は私の家族を作ることで幸せになることができたのでした。やったね!

可愛い妹をちやほやして、私を下げる扱いをする父と母が大嫌いだった

そもそもどうして私が妹の事が嫌いだったのかというと、妹が可愛かったから嫌いだったわけじゃない。可愛い妹をちやほやして、私を下げる扱いをする父と母が大嫌いだったからだ。

もしも妹さえ居なければ、もしくは妹が私より可愛くなければ、私がもっと愛してもらえたんじゃないだろうか。勉強が出来なくても県外に進学するのを許してもらえた妹。恋に狂って変な男と結婚して一年足らずで出戻ってきた妹。それでも大事にされているのは妹だった。世間体のいい人生のステップを踏んだ私より、妹。私の努力なんて関係なく。

子供の頃はそれが本当に辛かったけど、今は平気だ。実家と離れて暮らしているし、自分の家族を作ることができたのが大きいと思う。比較対象だった妹から離れて、私はようやく幸せになれた。両親から満足に愛されなくても、他の人から愛されれば満足だってわかったし。

長々自分語りをしてしまったけれど、私が言いたいのは今悩んでる事も大人になったら幾分かはマシになるよってことだ。大人になれば、自分の力で今よりももっと遠くに行けるようになるから。もちろん多少の努力はしないといけないけれど、悪意の視線に耐え続けるよりはマシなはず。

だからどうかそれまでは、やり過ごす様にでもいいから、生きてください。
捻くれの先輩からでした。