iPhoneの画面に映る両親の顔が、また涙でぼやけた。本当に些細なことで電話をしただけなのに、また喧嘩になってしまった。
「このあと友達とランチの予定があるのに」と思いながら、すでに目は何度もこすったせいで赤くて痛かった。
親には評価されないけど、自分の「感覚」を信じて選んだ大切な道
高校生までの優等生っぷりは、どこへやら…20歳以降、親や学校に評価されづらい道を選んできた。大学を1年休んで、見知らぬ土地の商店街に飛び込み、就職も実家から遠く離れたその地域で、公益社団法人のコーディネーターという説明しづらい職に就いた。
公益社団法人のコーディネーターとは、農村に都会の若者を連れて行ったり、プロジェクトを企画したりする仕事。でも、そんな私に対して、親は“お金”や“将来”への心配からか、私の価値観を否定するような言葉をぶつけることが何度もあった。
でも、自分としては限りなく自然な選択だった。「今、本当に何が大切なのか」を見つめて、自分の感覚を信じて選んだ、大切な道だった。今の私には、これしかないという気もした。
それから3年、仕事も生活も充実した毎日だった。いくつものプロジェクトをやりきり、シェアハウスで楽しく暮らし、自由に恋愛も楽しんだ。
でも、ときどき無性に自信がなくなった。たいていそれは、両親や昔の友達や世間の評価に触れるできごとがあった直後。不安になり、ネガティブになっていく。何を変えるべきかあれこれ悩み、結局何もしないまま日常の予定をこなしていく内にその感情を忘れていく。その繰り返しを何度もした。
感情って、なんて面倒くさいんだと思った。気分が落ちるときの原因なんて、生理の周期とか誰かにいわれた言葉とか、たかが知れている。なのに、定期的に無駄に感情が揺さぶられ、SNSにひねくれた内容を書きたくなり、自分より評価されている人に嫉妬し、分かりやすく誰かに求められたくなる。悪者だ、負の感情だ。
一人で「考えすぎる時間」が増えると、不安や心配の感情が生まれた
2020年、新型コロナウイルスが世界中で流行していて、“一人”の時間が急に増えた。2カ月に1回ほど帰っていた東京の実家に、帰れなくなった。オンラインで話すのにも慣れたけど、“会えない”時間の多さが、“考えすぎ”を加速させた。
そのタイミングで、恋人と半分家を共有しはじめて、生活自体はのびのびとできていたが、それを両親に事後報告したら喧嘩になった。“両親に評価されたい自分”は、簡単には私の心の中からいなくなってくれなかった。
“一人での考えすぎる時間”が増えると、生まれるのは“不安や心配”だ。不安や心配の成分は、一人の時に増え、安心できる誰かと一緒にいると減っていくような気がする。
不安や心配の波が、全く来ない方がいいといっているわけではない。生理周期やそれ以外の要因で来る“負の感情”があることは、もしかしたら本能が自分に訴えている何かなのかもしれないし、波があることは生きていることだと思う。
ただ、負の感情に引っ張られすぎて、なかなか戻れないところまで落ちていってしまうのが恐ろしいことなのだ。人が信用できなくなったり、誰にも頼れなくなったり、自分への愛がなくなったり。
「感情」の波に揺さぶられながらも、大事な人たちに守られている
誰かと一緒にいる。気持ちが寄り添い合っている。血縁ではないけれど、ごはんを囲んで家族みたいな関係が生まれる。ふと、話したくなる。そんな関係を人間がいろいろなところでつくってきたのは、身を守る術なのかもしれない。
感情の波に揺さぶられながらも、どこかで“大丈夫”の膜に、守られている感覚。それをつくるのは、生きているもののぬくもりだ。
たぶん私は、どこかで感じていた。学歴や年収ではない道を進み始めた時に、それが両親への気持ちとの葛藤を生むとしても、私たちがこの厳しい社会で、強がらずに弱いまま生きるには、大事な人たちとしっかりつながって、“大丈夫の膜”に包まれて生きていくしかないのだと。
両親との電話で泣いて自信をなくした後、それを思い出させてくれたのは、恋人と上司だった。何気ない言葉に救われた。本当に、自分だけじゃ簡単に強くはなれないから。そうやって人に助けてもらいながら、葛藤と波とつきあって生きていこう。