――「死にたい」っていうことば。それはなかなか他の人には言いづらいことばだし、めったに口に出してはいけないって怒られるかもしれない。そんな言葉がまさか自分の中から湧き出てくるなんて思ってもいなかった。

芸能人の自殺のニュースを耳にするたび、どうしても他人事とは思えない。なぜなら、私も死にたくて死にたくてしかたがないときがあったから。あの生き地獄のような苦しみ……。もう、あのときに戻りたくないけど。同じように苦しんでいる人が少しでも共感できて気持ちが楽になればいいな。だから、勇気を出してここで自分の体験を書いてみようと思う。

漠然とした不安、焦り。だんだん夜寝れなくなっていた。

社会人一年目で適応障害、うつ病――。今思えば自分に向いていなかった仕事だったのだろう。でも、大学を四年間通って得た仕事だったし、なかなか簡単に辞めることができなかった。できないのは当たり前だから努力して頑張らなくちゃって毎日必死にしがみついていた。終わりの見えない仕事。理不尽なパワハラ。毎日管理職に呼び出されては別室で長時間説教を受けて、余計仕事がたまる。指導というよりは、ただ感情をぶつけられているような感じ。でもそんなこと、そのときは気づかなかった。頑張っても頑張っても報われない。漠然とした不安、焦り。だんだん夜寝れなくなっていた。寝ないといけないのに、緊張しているからか足がしびれて眠れない。朝も気分が悪くては吐きそうだった。気づけば仕事中も頭がぼーっとしてうまく働かず、余計怒られていた。正直、この時点で「死にたい」と頭によぎったことがあった。でも甘えじゃないかと思って気にもせず、出勤していた。もう頭が麻痺していた。

「死にたい」という言葉がずっと頭の中でぐるぐると回っていた

そして、ある朝、ついに家の玄関から立ち上がれなくなってしまった。仕事に行かないといけないのに体が動かない。おかしいと思った親に病院に連れていかれて診断を受けて休職。ああ、もう会社に行かなくていいんだってほっとした。

でもそこからも地獄だった。休んでいても職場から電話がかかってくるし、みんな頑張っているのに私は何で休んでいるんだろうと自分を責めた。病院には休んでくださいと言われたけど、私は「休む」の意味が分からなかった。どうしてみんなが当たり前にできていることが自分にではできないのだろう。何かしたいけど体がだるい。ずっと布団の中で寝ていた。こんな私なんて迷惑かけてばかりだ。「死にたい」という言葉がずっと頭の中でぐるぐると回っていた。すごく苦しかった。死にたいけど死ねない。生きたいけど死にたくてたまらない。矛盾しながらも、ずっと葛藤していた。

徐々に休むことを受け入れた。休んでいる間に心がけた5つのこと

苦しかったけど、私にはありがたいことに支えてくれる家族や友達がいた。自分のことばかりでみんなに迷惑をかけてばかりだったけれど、もう観念して甘えようと思った。夜、不安で眠れないときは、恥ずかしながら母に手を握ってもらって横になっていた。大丈夫、大丈夫だからと声をかけてくれた母の手は大きくて温かった。飼っている犬を抱きしめて癒してもらうこともあった。友達に事情を話して会えないことを伝えると、気にしないで、また元気になったときに笑おうと励ましてくれたこともあった。

なかなか自分の状況を受け入れなかった私だったが、徐々にしっかり休もうと受け入れられるようになってきた。休んでいる間、周りや病院の先生に言われて心がけていたことが以下の5つである。

① 毎日どんな小さなことでもいいから、よかったこと、幸せだったことを日記に書く
② 悪いことを「考える」時間をなるべく減らす(全く考えないことは無理だから、まずは減らしていく)。何も考えない「無」の時間を作る
③ 少しでもしんどいと思うことは無理しない。友達と会ったり連絡のやり取りをしたりするのも無理しない(それで責める友達なら友達じゃない)。鬱の時は人と会うのが正直しんどいし、まず電車に乗るのも怖くてしんどかった。だから無理しない。
④ なるべくネットを見ない
⑤ 自分にとって心地よいことをする

自分と同じように苦しんでいる人がいたら、優しく声をかけたい

そして体調がよくなったり悪くなったりを繰り返していたけれど、時間が解決してくれるようになった。心がだんだん元気になってきた。
休職している間に考えて結局、退職を選んだけれど、私は後悔していない。それからの私は、外に出る機会を増やしたりアルバイトをしたりして、一歩一歩、前に進んでいった。もちろん、しんどくなったら無理せず休憩もはさみながら。転々としていろんなところで働いたけれど、今はすっかり元気になって別の会社でフルタイムで働いている。

この世には残念なことに平気で人を傷つけたり、それで喜びを感じたりするような人がいる。あとから、管理職が前回も別の人をうつ病にしたことがあると聞いたときは、ぞっとした。恨んでないといえば嘘になるかもしれない。人生をくるわされたって思う時もあった。でももういいやって思うようにした。あのときの自分を否定するのが悲しくなったし、あの時間は私にとって必要だった、神様が与えてくれた時間だったと思ったから。私は人を傷つけるような人にはなりたくないし、反面教師にしてやりたい。そして、自分と同じように苦しんでいる人がいたら、優しく声をかけたい。色々あったけど、大丈夫。今、私は幸せです。そして、どうかみんなに優しい社会になりますように。