感性とはなんともキラキラした響きのかっこいい言葉である。感性がある、感性が豊かだね、と言われてうれしくない人はいないのではないか。
アートや音楽、クリエイティブな世界ではもちろんなくてはならない感性というもの。豊かな感性なくして、たくさんの人を魅了する表現や物は生まれない。つまりインプットなくしてアウトプットなし、というわけか。
おや、けれども感性という言葉にそもそもアウトプットの意味は含まれるのだろうか、と疑問に思った。私は辞書を引いてみた。
表現して伝えないことには感性があるとみなされない
感性とは、印象を受け入れる能力。感受性。感覚に伴う感情・衝動や欲望。とあった。広辞苑にはさらに難しく、外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性。と書いてあった。感受性もまた刺激・印象、物を感じ取る能力という意味である。
言葉の意味からすると、何か感じれば、インプットができればそれは感性ということになるはずである。けれども、実際は感じたことを表現できる人のことを感性がある人とみなされる。ここでの感性がある人かどうかは他者からの評価が基準になっているから、表現して伝えられないことには感性がある人とはみなされないということになる。協調性が求められる日本の現代では、アウトプットすることを我慢している人や、感性があるかどうか気にしていない人は多いのかもしれない。
では、アウトプットを我慢していたり苦手だったりするインプットのみが得意な人は何と呼ばれるのか。一般的には「神経質」とか「敏感」とか、あとは最近はやりの「繊細さん」という呼び方になるのかもしれない。
アウトプットがあるとないとではこんなにも呼び方の印象に違いがあるのか。感性という言葉はあんなにキラキラしていたのにインプットだけ得意な人の呼び方は、あまり印象のよくない、聞くと少し動悸がしそうな言葉だ。
「繊細さん」でも、嫌なことばかりじゃない。いいこともある
日本人の5人に1人はいるとされる「繊細さん」。私もどちらかというとその傾向が強い。たしかに日常生活においてつらい思いをすることも多いので、言葉のイメージ的にはぴったりかもしれない。何か感じることがあっても、そのことを周りの人は気づいていないし、気を使ってそれを伝えることもないので周りには何も知られない。
機嫌が悪い人がいたらその人から目が離せなくなり、原因が私になかったとしても何かしたかな、と思考を巡らせたり、誰かが怒られていてそれが全く知らない人であっても、なぜか私まで怒られている気分になったり。ものすごい音を立てながらバイクが横を通り過ぎていったり、冬の冷えた便器に知らないで座ったりしてしまうと、心臓をつかまれてギューッと絞られているような感覚になる。
けれども、そんな嫌なことばかりではなくて、アロマや部屋に置くディフューザーを選んでいるとき、今まで嗅いだことのない初めましてのいい香りに出会ったときはミュージカルばりに踊りだしそうな高揚感を感じたり、誰にも理解できないだろうと思っていた私の奇行を同じようにしている人を見つけた時、この人は心の友だ。とそっと感動したり(この時は誰も見ていないときに口の周りをべたべたにしながらシュークリームを食べるというもの)、いいこともある。
「繊細さん」から感性のある人にレベルアップできるかも
そんなことを日々体感しつつ、私は「繊細さん」から感性のある人にレベルアップすることを目論んでいる。
「繊細さん」という素質があればそこからアウトプットすることを訓練して発信できる装備を身に着ければ、感性のある人にレベルアップできるかもしれない。あとは、冷たい便器の経験やシュークリームを汚く食べるときの感情をどう磨いて使っていくか、そんなことを考えながら、またシュークリームが食べたくなる。
そんな私の感性。