「自己中で我儘で何をやらせても中途半端で、そのくせプライドは高くて不満だけはいつも立派に持ってて、大人に逆らってばかりで無駄に傷ついて、悲劇のヒロイン気取りで夢見がちなあの子、本当に大好きだったのに、誰に殺されちゃったんだろう。
守ってあげられなくてごめんね」
泣きながら書いた1週間前の日記は、17歳の頃の私へのラブレターであり、懺悔の手紙だった。

ひねくれて不器用な子供だったから、躓いてばかりの思春期だった

とにかくひねくれて不器用な子供だったから、周りの子達がうまくやり過ごしているようなことで、尽く躓いてばかりの思春期だった。
皆はどうやって初対面の相手に笑いかけているのか、どうしたらキラキラした人達にいじめられないで過ごせるのか、どうして異性を前にして赤面せずに居られるのか。私からしたら分からないことだらけで、皆がどこでその正解を取得しているのか、妬ましくて苦しくて堪らなかった。

一方で、嫌われたくないと強く思う小心者だったにも関わらず、自分がこうだと信じれば絶対に曲げたくないというプライドの高さも持ち合わせていた。それを譲るくらいならいくらでも反発してやるという度胸だけは何故か立派で、おかげで数々の教師たちに「お前は大人を舐めている」と怒鳴られた。

教師に歯向かい、友人関係に猜疑心を持ち、将来を憂いていた

そんな私の17歳の頃は、今考えてみると「17歳らしさ」の全てを背負っているようだった。
教師に歯向かい、親とは進路のことで揉め、友人関係に猜疑心を持ち、将来を憂い、尾崎豊を聴きながら毎晩泣いていた。
今となれば青すぎる思い出も、あの頃の私は本当に毎日が辛かった。

理不尽に怒鳴り散らす教師に対して「そういうものだ」と妥協することがどうしてもできなかった。
身勝手な一生徒の不祥事を揉み消すために、無関係な私達演劇部のコンクールの機会を潰されたことが許せなかった。
私が脚本を書いて部長雑務や裏方業を任された作品でも、他校のあの人が話しかけるのは私ではなく顔の可愛いあの子だという事実に虫酸が走った。

…かと言って、私は教師を言い負かすような脳もなければ、事態の不当性を訴える勇気も、ましてあの子のように可愛くなるような努力もできなかった。
ただ家に帰っては、自室の隅で尾崎豊を聴き、1人でじっと泣いていた。

17歳の私は、必死に生きて、必死に自分のことを守ろうとしていた

5年が経ち、もうすぐ22歳になる私は、マッチングアプリで適当に出会った男性に程よい性欲と承認欲求を満たしてもらい、おじさんが好きそうな化粧と服装に身を包んで、ガールズバーで馬鹿みたいな笑い声を上げている。

四年働いているファミレスでは、全員に気軽に声をかけて、その場の雰囲気を盛り上げようと気を配る。
私はすごく、器用な人間になった。
だけど、どうしてか、どうしようもなく、生きづらかったあの頃の私が恋しくて堪らない。

17歳のあの子は、本当に可愛げのないガキだったけれど、とても必死に生きていて、必死に自分のことを守ろうとしていた。
おかしいと思うものにはおかしいと言って、自分の正義を譲らない子だった。
自分のことをちゃんと大切にして、自分のことがちゃんと大好きだった。
それはなんだか、とても素敵じゃないかと思う。

あの頃の生きづらさを卒業した私は、だけど、すごく悲しい

あの頃の熱量は、もう微塵も今の私に残っていない。
平気で嘘をついたり、周りのために見た目を変えたり、傷つけられていることに気付かないふりをして笑ったりしてしまう。
そんな今の私を、私はちゃんと愛せない。

本当の自分になるまでに、これから何回「卒業」すればいいのかと、尾崎は歌っていた。

あの頃の生きづらさを卒業した私は、だけど、すごく悲しい。
こんなにも悲しいのなら、私はまだ卒業したくなかった。本当の自分にたどり着けなくてもいいから。
そう思うほどには、私はまだ青いのだ。