私は頑張るとき、一途になります。一途になってしまうというより、一途にしなきゃ、と思うのです。

目標に関係ないものをすべて排除するのが、わたしの努力の仕方

ひとの価値観が十人十色であるように、ひとの頑張り方も十人十色だと思いますが、みなさんは何かを成し遂げたくて頑張りたいとき、どうやって頑張りますか?いろんな人の、いろんな頑張りかたを聞いてみたいものです。

わたしが目標を達成するために努力するときは、「それ」に関係ないものをすべて排除してしまいます。例えば友だちとの旅行にいかない、同期との飲み会に行かない、ウィンドウショッピングに行かない…。「かわいそうな人」と思いましたか?私も少し前まではそう思っていました。もっと言うと、悩んでいました。このままでは、私の周りには誰もいなくなっちゃうんじゃないか。一生こんなに泥だらけになって頑張り続けるのは、今から考えただけでも疲弊するし、身を削る頑張り方は自分も辛いんじゃないか・・・などなど。

頑張った分だけ見返りがある。この考え方は、ひろーく浸透しています

私の思考回路はこうです。何かを頑張るためには何かを差し出す。人より辛い思いをして頑張った分だけ、あとでいい思いができる。「他人に優しくしてほしかったらまず他人に優しくしなさい」とはよく言ったものですが、それと似ています。神様を信じているわけではないのに、なぜか誰かが空の上からずっと見守っていて、悪事をしてもバレるかな・・なんて小さい頃から私の考え方は変わっていません。

でも、この考え方は案外私だけでもないはず。頑張った分だけ見返りがある、という考え方は世の中にもひろーく浸透している思考で、その考えのおかげで「こんなに頑張っているのに…」なんて落ち込む人も少なくないでしょう。

いちいち一生懸命生きるのは、正直辛い。でも頑張れる理由を見つけた

最近でもハワンさんの『あやうく一生懸命生きるところだった』というエッセイがベストセラーにもなっていましたが、いちいち一生懸命生きるのは、正直辛いのです。それでも私がまわりのものを排除してまでも頑張るのはなぜか?

ずばり、それは唯一無二の私の「感性」なのです。「努力が報われる方法」なんて、もし正解があればだれもが実行していますし、そんなもの、人それぞれ。同じ一輪の花を見ても「赤い!」「いい匂い」「冬らしいね」と感じることが三者三様なように、努力の仕方や何を努力と捉えるかなんて、そのひとの「感性」でしかないのだと思います。なんだかつまらない結論だな、なんて思われたかもしれませんが、「これは私の感性なんだ!」と思いきるだけで、すうーっとココロが軽くなるのは事実ですから、ぜひ、みなさんも感性のセイにしちゃってください。あーあ、今日もわたし頑張りすぎちゃった。私の感性、この野郎!