社会人になると、朝起きて、会社に行って、働いて、帰って、寝て、また起きて…
そんな日々の繰り返しが当たり前の毎日になった。
「疲れたー」とか「だるいー」とか言いながら、それでも精一杯毎日を生きている。
だからこそ、誰かの小さな思いやりが明日を生きる糧になる。
それに気づかせてくれたのは、ある日の帰り道に乗った電車の車掌さんだった。
はやく家に帰りたい!おなかすいた!眠い!
その日私はそんなことを考えながら帰路についていた。もうすぐ終点。
いつも通りの車内アナウンスが流れ始める…
「次は終点○○~終点○○です~」
「お乗換えのご案内をいたします。○○方面は1番乗り場~~~」
毎日流れるアナウンス。特に聞き入るような内容でもない。
到着を待ちながらぼーっと外を眺めていた。
さっきも考えていたのにまた考える。「早く帰りたい!!!」
わたしはもう1秒でもはやく帰りたかった。それしか頭になかった。
いつもの帰り道、いつものアナウンス、ただひとつ違ったのは……
でも次の瞬間、帰りたい病だった私の脳内は一変した。
意識せずとも言葉が耳に入ってきた。
あの時のぞわっとした感じ、鳥肌が立つ感じ、いまでも鮮明に覚えている。
車内アナウンスの締めくくり、車掌さんの言葉だ。
「今日も1日お疲れ様でした。今日はとても月が綺麗です。
1日の終わりに、ゆっくりと空を見上げてみてはいかがでしょうか。
この先もお気をつけてお帰りください。ご乗車ありがとうございました。」
そうだ、今日はスーパームーンの日だった。
震えた。なにその一言。
お疲れ様って言ってくれた。絶対あなたも疲れているのに。
月のこと教えてくれた。わたし空のことなんて気にしてなかったな。
この先も気を付けてって言ってくれた。いつもの1000倍気を付けて帰ろう。
感謝までしてくれている。感謝したいのは私の方。明日も喜んで乗車します。
私の心が一瞬で晴れた。さっきまであんなに疲れていたのに全部忘れた。
名前も顔も知らない車掌さんの言葉によって。
何も知らない赤の他人の言葉で、支えられた気がした
大人になると、仕事や家事、家族のことや恋人のこと、なにかと頑張らないといけないことが多くなり、頑張ることが当たり前になってしまう。
その割に褒められることや優しい言葉をかけてもらうことは少ない。
だけどみんな頑張っているとおもう。役割や立場、生きている環境は違うけれど、
誰もが一生懸命生きている。
そんな中で支えになるのが、「お疲れ様」「ありがとう」といった何気ない言葉だ。
難しい言葉ではないのに、案外粗末にしてしまう言葉な気がする。
近い人であればあるほど、恥ずかしくてなかなか言い出せなかったりする。
だけど、もっとちゃんと、伝えていこうとおもった。
自分が今ここにいるのは、身近で支えてくれているひとはもちろん、
日々の生活の中にいるすべての人のおかげだ。
すべてはだれかの「おかげさま」、だから私もたった一言を伝えよう
もしかすると、そういう心がけで私もあの時の車掌さんのように、
どこかの誰かの心に少しでも光を灯せるかもしれない。
そんなことを感じることができた、素敵な出来事だった。
あの日の帰り道、電車を降りて家まで10分。私は空を見上げた。
とっても大きな月が、明日も頑張れよーと言っているかのように光っていた。
今日を過ごしたすべてのみなさんへ。
今日も1日、本当にお疲れ様でした。