ニーゼロニーゼロって、最高に語呂が良くて、キリが良くって、潔かった。
みんなオリンピックで笑って、最高の夏を過ごすはずだった。
ニーゼロニーイチって、ちょっと言いづらいし、私的には厄年がそっと近付いてくる。
しかも私はニーゼロニーゼロの十二月をもってして会社を辞めるので
そして行く先は決まってないので、ほんとお先真っ暗である。

心は全く騙されなかった。どうしたらいいか分からず滅茶苦茶相談した

ぶっちゃけ笑えてくる。
何も面白いことはないけど。

そもそも仕事を辞めようと思ったきっかけは、”業務の中の、ある作業をやろうとすると嫌過ぎて心が拒絶するようになったから”なのであるが、それでも私はすぐに放棄せず、一応ちゃんと考えたのである。
“逃げちゃダメだ!”なんて、何度も唱えたし、その業務を楽しくやるにはどうすればいいか、工夫をしてみよう☆と結構自分を騙そうとした。
結果、心は強靭だ、全く騙されなかった。
ハタハタと勝手に涙が落ちて、文字が読めなくなって、河川敷でぼうっと過ごすしかない日もあった。

そこから、どうしたらいいか分からなくて滅茶苦茶相談した。
手当たり次第、相談した。

これまでの人生、あまり人に相談したことって無かったのだが、色々な人に相談していると、発見があった。
「新しい世界へ飛び出してみなよ派」と「現状維持派」に分かれるのだ。
ちなみにほぼ大半は、最終的には好きなようにしたら?と言い放ち、責任を負わず外野から楽しんでいる人たちなのだがそれについては割愛する。
その中でも現状維持派から二大パワーワードが出たのでここに書き記したい。

1:“でも人生、好きなことだけやって生きられないよ”
2:“人は、幸せそうな人を妬みますよ”

である。

シャワーを止めて思い直した。「これ、呪いなのでは……?」

ちなみに両方とも受け取った時は、そうだよな。って思ったのだ。心に刻もう、みんな大変な思いをしながら生きてるんだ。私も辛いけど、粛々と、嫌なことをこなしながら、生きていこう……、お風呂でシャワーを後頭部に当てながらそう思っていたのだが。ちょっと待てよ。とシャワーを止めて思い直した。

「これ、呪いなのでは……?」
鏡に映る自分の口はポカンと空いていたと思う。
本当に、好きなことだけやって生きていけないのだろうか。試したこともないのに?
“人は幸せそうに見える人を妬む”からと言って、それは私が幸せになっていけない理由にはならなくないか?
というかもっと根本に帰ると、母のお腹から出てきたとき、私の父と母は
「ちょっと人並みに辛いことしながら、でも着実に頑張って、そこそこの夢をそこそこ叶えて、幸せな瞬間もあるかも?みたいな人生を送りますように」と願っただろうか?
いや。絶対違う「どうか、どうか、幸せに生きられますように」と願ったはずだ。

心にゆとり。懐は寒くスケジュールは空。でも幸せになる予定は、ある

今の仕事って、誰かに頼まれてやってたんだっけ?

そこからはもう伝えるだけだった。
ニーゼロニーゼロと共に今までの私は消えていく。
会社に居ることでしか得られない特権たちよ、さようなら。
君たちが惜しくて、私は頭を抱えたよ。
でも大丈夫、確定申告だって保険のことだってやれば出来るさきっと。
先輩たちは幾らでもいる。

確かにニーゼロニーイチは語呂が悪いが、それでも不器用な私は前を向く。
厄は近付いてくるが、まぁまだ少し遠くにいるし、ちょっと歩く分には問題ない。
2021の私は未定である。
でも一つ分かることとしては、心にはゆとりがあって、懐は寒いからどうにかする必要があるのだが、それでも好きなことをするにはどうすればいいか、を毎日考えている。
ほぼスケジュールは空なのだが、あえて一つ書くとすると、幸せになる予定は、ある。