今から1年前の2020年1月、私は「今年中に1人でニューヨークに行く」という目標を掲げた。距離にして1万kmも離れているが、飛行時間はおよそ13時間。私が週末にぶっ続けで寝られるぐらいの時間で行けてしまう。そう考えれば、異国の地も意外に近いなと感じた。
ニューヨークについて調べ尽くした。あとは計画を実行するだけだった
ちなみに英語は中学レベルのスピーキングしかできないが、そんな言語力でも3週間ヨーロッパで暮らした経験があるので何とかなると信じていた。旅費も社会人になってから貯金した額で賄える。有給休暇は上司に冷たい目で見られても長期で取得してやるつもりだ。行きたいところや観たいもの、食べたいもの、女一人旅のいろはも調べ尽くした。つまり、あとはこの計画を「実行する」だけ。実際に航空券を買って、ホテルを予約して、有休を取る。それだけでよかった。
しかし、2020年は思い描いていた年とはかけ離れたものなってしまった。
渡米計画を掲げた約2か月後。世界は混乱し始めた。
未知のウイルスによる大規模なパンデミックは、日常のすべてをいとも簡単に一変させた。国を跨いだ移動はおろか、日本国内でさえ外出を制限される日々。会社の先輩から聞いた「ネットニュースで見たけど、今までのように海外旅行が出来るようになるまで最低2~3年はかかるらしいよ」発言に絶望した。あと3つ、たった3つの工程を「実行するだけ」で達成できるはずだったお正月に掲げた目標は、2020年中には叶わないことがかなり序盤で確定した。
そんな混沌とした世界になってからはじめて、私は実感した。
この世に“当たり前“なんて存在しないんだ、と。
不確かな当たり前の未来を前提に、夢や目標を先延ばしにしてしまう
「“当たり前“のことはないよ」
誰だったろう、有名なアーティストがそう歌っていた気がする。記憶に残るフレーズでその通りだなと思いつつ、いざ自分の生活を振り返ってみると、どうだろう。1時間後も、明日も、来月も、来年も、未来は当たり前に、今までの日常通りに来ると思っていた。でも実際は、明日も健康でいられるのか、来月も大切な人がそばに居てくれるのか、数年後も人類は生きているのか、誰にも分らない。それなのに、不確かな当たり前の未来を前提に、夢や目標を先延ばしにしてしまう。現に私は「2020年のどっかで行けたらいいな」と、コロナ過以前の日常は当たり前に来るという根拠のない確信のもと、ニューヨークに行く夢を先延ばしにしていた。そして、叶うだろうと思っていた夢は、いつ叶うか分からず、もしかしたら金輪際叶えることができないかもしれない代物になってしまった。
人生は予期せぬことの連続。今日の“当たり前”が明日もとは限らない
2020年はお世辞にも最高な年と言えるものではなかった。でも私には重要な1年だったし、2020年がなければ気付けなかったことが沢山あった。
今日の“当たり前”は明日も続くとは限らないこと。
未来は悪くなる可能性も、良くなる可能性もあること。
人生は予期せぬことの連続であること。
だから私はここに誓う、2021年の生き方を。
「今、この時の私が後悔しないように、世に溢れる“当たり前”に縛られず生きる」
大手企業を辞めて無職になり、物書きになる夢を追う私の、選手宣誓だ。