つい先日22歳の誕生日を迎えたけれど、未だに生まれてきたことが受け入れられない。人生のシステムに納得いかねえ!とか思ってしまう。

社会人になるのが近づくにつれて、普通への憧れが強くなっていった

就活はどうやら失敗したみたいで、私は生まれ変わる必要があるらしい。今までの自分を仮にも一旦殺すことになってしまい、申し訳ない気持ちと怒りとでごちゃごちゃになっている。少し前から気づき始めてはいた。最近は4年かけて苦手だと思っていたことをやっぱり苦手だと確認することはできたのだなと思うようにしている。いつか、良くも悪くも私を変える衝撃的な何かが起こるんじゃないかと思っていたけれどそんなことはなかったし、大人になるにつれてそれ相応の能力を充分身につけることもできなかった。

社会人になるのが近づくにつれて、普通に対する憧れが強くなっていった。中高生の頃の自分は何かにつけ、どれだけ奇を衒えるかということを念頭に置いていたりした。とにかく実力以上に目立ちたかった。近頃は斜に構えてしまうことが癖になっている自分が嫌で仕方ない。まっすぐ物事に対峙することができる、そつなくこなすことができる友人のようになりたいという気持ちになることばかりである。

就活か、結婚か。どちらかが上手くいかないと自分を保てないのが本音

一方で、普通になりたいと思うことは天然になりたいと思うことのように無意味だとも感じている。普通になりたいとか言ってる時点でもう、とか思ってしまう。そしてまた、自分のことを普通ではないと言う人に対して違和感を覚えてしまうことがある。

自分が思う普通にやっぱりなれなくて悲しいしとはいえ、まだ普通の範疇だとも思っている。これから先どのようなスタンス、計画で生きていくべきなのか考えさせられる日々が続く。就活が上手くいかないとなると巻き返しを図るものとして浮上するのが、私の中では結婚だったりする。というかどちらかが上手くいかないと自分を保てないというのが本音である。お先真っ暗はどう考えても片方だけでいい。

私が普通の幸せだと信じていた好きな人と恋愛をした上で結婚し子どもを産み育てることがこんなに難しいなんて知らなかったし、なんで教えてくれなかったの?という感情でしかない。知ってたらもっといろんな身の振り方考えるって!と言ってみたり。難しいし本当にそれは普通の幸せなのか、と余計に無駄に思考を巡らせたりして見事に拗らせている。何にもよくわからないうちに、憧れと勢いで好きな人と一緒になりたかったなあなんて。

理想の普通に出会うために、新しい一面をつくっていきたい

とある映画を観て40代独身の自分を想像する機会があった。私はどうしても他人からの見られ方を気にしてしまうようだ。必要以上に、自分がいいと思うことより他人にいいと思われることで精神を保っていたりする。普通になりたいのは、他人に普通だと思われたいからであって私の心の底からの本心ではない気がしている。偽りたい偽りたいという自分に嫌気がさす。私の理想の普通に出会うために、いいところで落ち合えるように、何とか頑張りたい。生まれ変わるのではなく、新しい一面をつくっていきたい。理想の対義語は現実だったりするから。