日本でコロナが流行し始めた今年の2月まで、オーストラリアに1年間住んでいた。

私が過ごしたメルボルンは多人種が行き交う街。

誰も人の目なんか気にせず、思い思いのファッションを楽しむ姿に感化された。

夏になればデコルテやお腹の見えるクロップド丈のTシャツ。
露出の多いキャミソールは当たり前。

日本では"海外かぶれ"だなんて言われる、ピチッとしたレギンスとスポーツブラで歩くかっこいい女性に憧れて自分も挑戦した。

体型を隠すのではなく活かすファッション、そして性別に捉われずにファッションで自分を表現する姿も魅力的だった。

海外にいるのなら彼らのように"自分らしく好きな服を着たい!"と思うようになり、オーストラリアでは私も自分の好きなファッションを楽しんだし、街で歩いていてもすれ違う人からの特別な視線を浴びることはなかった。

せっかくだから日本に帰ってもこのファッションスタイルを続けようと、オーストラリアからたくさんの夏物も買い込んで帰国した。

だが、どうしても日本では露出のある服やボディラインの出る服が着れない。

日本に帰国してから毎日毎日テレビで見る痴漢や性的暴行に関するニュース。

外に出るのもどこか恐ろしくなるほどだ。

あれは"触らない痴漢"だった

そんな私も20歳までは若気の至りでミニスカートも履いたし、男性からの視線も集めてなんぼだと思っていた。

母から度々「またそんなに足だして!」と言われても気にしなかった。

しかし歳を重ね多くのことを知り、毎日乗る電車や街で卑劣なことを経験すると、今では男性からの不快な視線一つ一つに虫唾が走る。

思い出せばある時、私が地下鉄から地上への長い階段を登っている時「今日は真っ白だね」と耳元で男の声が聞こえた。

その日の私のファッションはひざ丈のタイトスカートで、当時流行っていたオールホワイトのコーディネートだった。

イヤホンをしていたので聞き間違いかと思い声の主を探そうとしたが見つけられず、その人影はすぐに人混みに消えていった。

初めての経験に、ただ「今のは何だったんだろう」と戸惑っただけだったが、次第になんとも言えない気持ち悪さが襲った。

あれは"触らない痴漢"だった。

友達には笑い話のように話したが、今でもトラウマのように覚えている。

オーストラリアで買った服たちはクローゼットに眠ったまま

それから、朝の満員電車では少しも気が抜けなくなった。

「そんな格好をしているから悪いんだ」と言われないように気をつける。

自意識過剰だと言われるかもしれないが、一回の不快な経験が私の思考にここまで制限をかける。 

いまだにオーストラリアで買ったお気に入りの服たちはクローゼットに眠ったまま。

なんだか悔しい。
私の意思が弱いだけだろうか。

いつになったら私は自分の好きな服を着られるのだろうか

「人の目なんか気にしないで好きな服を着ようよ!」と言えるかっこいい自分でいたい。

モデルみたいに自分が1番気分の上がるファッションをしたい。

しかしファッションを全力で楽しむことより、なんとしても自己防衛しなきゃという潜在意識が勝つ。

ファッションが安全を脅かしてはいけないはずなのに。

いつになったら私は自分の好きな服を人目を気にせずに着られる日が来るのだろうか。

"郷に入っては郷に従え"という言葉が悲しく響く。

今日も私は派手すぎず露出せず、ボディラインの出ない、痴漢されず注目もされない服を着て街へ出る。