私は10代の頃に結婚した。所謂、「できちゃった婚」だ。
この言葉を聞いただけで、嫌悪感を抱く人がほとんどだと思う。私も子供がいるしもうすぐ30歳になるから、その嫌悪感はなんとなく分かるしこれはもう仕方ないことだと割り切っている。それに、私は結婚したことによってそれまでの人生とは比べ物にならないくらい幸せになれたのだから、それでいいのだ。
私のことをほとんど知らない人に何を言われようが知らんこっちゃない。その人は私の人生に責任を取ってくれるわけでもないし、一緒に悩んでくれるわけでもない。自分の人生にとって何が大切なのかを考えて取捨選択していくのは、いつだって自分自身なのだから。
こんなにも「結婚」という枠組みに囚われなくてもいいのではないか
私は結婚という道を選んで良かったと心の底から思っている。結婚をして、私の人生は大きく変わった。旦那は私の良き理解者になってくれた。生まれた家庭に恵まれなかった私にとって、結婚して新しい自分だけの家庭を持つことが夢だったからとても嬉しかった。自分が選んだ家族と生活を共にし、ときには喧嘩もするけど、可愛くてたまらない子供達を旦那と一緒に育てられているこのかけがえのない時間が本当に大切でなにより愛おしくてたまらないのだ。
しかしその一方で、こんなにも「結婚」という枠組みに囚われなくてもいいのではないかという気持ちも抱えている。なぜなら、日本の社会は「婚姻関係」という言葉に縛られ過ぎではないだろうかと常日頃、私は考えているからだ。
もちろん結婚したい人はすればいいのだけれど、お互いに愛を誓った2人にとって「結婚」という言葉はただの飾り付けにしかならないと私は思っているし、「婚姻関係」だって言ってしまえばたった紙切れ一枚の関係性だ。愛し合った者同士が人生を共にすることを選んだのならば、結婚していようがしていまいが関係無いと私は思う。
結婚制度や結婚に対する考え方を改めなくてはいけないのでは
日本の社会はまだ同性愛者の方々に優しくない社会なわけだけど、彼女らもしくは彼らは「結婚」が出来ないから「婚姻関係」を結べないから、国や社会から一緒にいることを理解されず、そして許してもらえないと思い苦しんでしまうのではないのだろうか。でも、愛し合った者同士が一緒に人生を歩むことに対して何故、自分達以外の誰かに許してもらわなきゃいけないのだろう。そんなことを、最近取り上げられることが多くなったLGBTのニュースを見て感じている。
私は結婚しているけれど、今の日本の社会の結婚制度には疑問を感じているし、同じように未だに選択的夫婦別姓が認められていないのも日本の社会は遅れているなと思わざるを得ないのだ。
結婚をすることによって不自由になってしまうこともあれば、結婚さえ許してもらえない人もいる。生きやすさを求めて声を上げる人が多くなったこの時代に、いつまでもこの結婚制度でいいのだろうか。
今を生きる人達に合わせて、そして未来に生きる人達のためにも今一度、結婚制度や結婚に対する考え方を改めなくてはいけない時がやって来たのではないだろうか。それによって誰かひとりでも生きやすくなるのならば、それはやっぱりすごく大切なことだ。
「誰とどんな人生を歩むか」がなによりも大切なこと
私達は、人生を共に歩むパートナー、そして家族を選ぶことが出来る。自分が選んだ家族だからこそ愛情が生まれ、悩みが増え、でもどんなときでも一緒に生きてゆきたいと強く思うのだ。ときには別れることもあるけれど、それも人生だ。だって、家族は選べられるのだから。
そして、自分の人生にとって何が大切なのかを考えて取捨選択していくのは、いつだって自分自身だ。「結婚」も、その選択肢のたったひとつに過ぎない。
私は、結婚する道を選んだ。しかし、「結婚」という言葉はただの飾り付けだと思っている。それは、結婚しているかどうかじゃなくて、「誰とどんな人生を歩むか」がなによりも大切なことだと実感しているからだ。