彼の職場、家族寮の家賃が安いらしい。
ということで我々は結婚した。
苗字はじゃんけんに負けた私が変えた。
各手続きが億劫で億劫で、結局更新期限まで
クレジットカードは旧姓のままだった。
「さらっと結婚」それこそが私にとって究極の愛
婚姻届は平日休みのある彼に頼んで出してもらった。ので、昼休みに「出せたよ」のLINEをみて、苗字変わったのかあ なんて思いながら150円のカップ麺を啜った。
こんな私の結婚話を、ドライだと言う人もいる。しかしこのさらっとした感じが私にとって「究極の愛」なのだ。現代社会でずっと一緒にいたい人とライフイベントをこなしながら一緒にいるためには、結婚という手続きを踏むのが一番手っ取り早いらしい。
つまり私は、今日も明日もこの先何十年も彼と一緒にいる可能性しか考えていないというわけで。それってどうしようもなく、愛でしかない。
「おめでとう」は、『結婚』という行事を人間として迎えることができたことに対してではなく、大好きな人が同じ気持ちで隣にいてくれることに対する祝福として受け取る。
一緒にいたい人たちの自由を奪うに値する理由ってある?
話は変わるがそんな調子なので、やっぱり日本の結婚制度には不満を感じる。
相手が同性でも、夫婦別姓でも、本人たちがずっと一緒にいたいと言っているならば本人たちの望む形でペアとして認めてあげるべきではないか。
なんなら恋愛感情なしの結婚もまたひとつだと思う。大親友で一番居心地が良いとか、苦手分野と得意分野がパズルのように噛み合ってとても生きやすい関係だとか。
結婚に対して制約をつけようとする人は、それが認可されるとどのような不都合があるのだろうか。私の理解が及んでないだけかと反対派の意見を読み漁ってみても、「だから何?」みたいな偏見やこじつけしか出てこない。
その程度の不満なら、ひとりでトイレにでも垂れ流していただきたいものだ。到底、一緒にいたい人たちの自由を奪うに値する理由とは思えないから。
つまりは何が言いたいかというと、もう人間愛でいいし、結婚したから偉い、ひとりだから悪いとかもないし、それぞれみんながベストでハッピーな状態になれー!ということ。
ね。それが一番よ。