私は26歳、広告業界に勤めながら、両親の家業でもある呉服屋のサポートをしている。
幼少期から色んな人に「感性が豊かだね」「何か人と違う考え方があるね」「純粋だよね」とよく呼ばれていたため、「感性」という言葉には馴染みがあった。ただ自分のなかで、感性が何なのかは正直分かっていなかった。

母と一緒にデコレーション、父は手土産を。夜10時から魔法の食卓

社会人になるまでは「感性」というものを意識することがなかった。そんな私が「感性」という言葉に改めて触れるようになったのは、些細な出来事だった。
母と趣味で楽しんでいるテーブルデコレーション。テーマに沿って大好きな食器やテーブルクロス、季節にあったお花や雑貨を並べて、母が作る料理や父が出張帰りに買ってきてくれた手土産などをテーブルに盛り付けするのが昔から大好きだった。

幼少期から出張が多い父は昔から何かと手土産を買ってきてくれて、ちょっと遅い10時頃に家族揃って食べる事が我が家のプチ贅沢として習慣づいていた。
その手土産一つで両親が喧嘩している時も、私と両親の会話が減った時も、全てが無かった事のように魔法の空間が生まれた。

「和洋折衷のお花畑や」呉服屋の父から感性を感じた瞬間 

そんなある日、ナイフやフォークを持った食事も苦手でスマホも全然使いこなせないTHE昔ながらの頑固おやじに近い父が、なんとも綺麗で色鮮やかなマカロンを買って帰ってきてくれたのだ。

なんでこんなおしゃれなものを買おうと思ったのかと父に尋ねたところ、「ショーケースからほんまにキラキラした溢れんばかりのオーラを感じたんや、それで絶対お母さんとりぃ(家族内での私のあだ名)が好きやろな思ったんや」と。
恥ずかしくて「ありがとう」としか口に出せなかったが、誰かを思ってスッと何かに引き込まれて行動を起こした彼のような感性の持ち主の元で育ててもらった喜びを初めて感じた瞬間だった。

母と一緒に色とりどりのお花みたいなマカロンをどのようにテーブルデコレーションするか悩んだ末、花柄の刺繍が多く入った大好きな着物の帯をメインのクロステーブルとして敷いて、プリザーブドフラワーの花びらを合わせて散らして、どの色をも明るくする白のお皿に飾り、「できた!」と完成したタイミングで父が私に「テーマは何や?」と。
「花畑・・・。」
「さすが、りぃ、面白いこと考えるやん!そこらでは到底見られへん和洋折衷のお花畑や。こういう感性を大切に生きるんやで」と父が口にした。
呉服屋を営んでいてもセンスという言葉からかけ離れてそうな昔ながらの父から「感性」という表現が出てきたことに驚いたのと、これが感性なのだと自分なりに解釈した瞬間だった。

「和」の家庭で育ち、海外から見えた「世界」。その架け橋になりたい

何気なく着物を見て、触れ、日本人なら一度は感じた事のある畳や和たんすの匂いを家で感じてきた毎日。更には合唱や茶道、華道を通じて「日本」を感じてきた幼少期。一方で海外旅行や万国共通のアウトドアスポーツなど「世界」を五感で感じてきた経験。
その全てがまさに今の私の感性に繋がっているのだと今となっては実感する。

それはもちろんそのような環境下で育ててくれた両親の存在と、海外生活なんて断固反対だった両親の反対を押し切って挑戦した、自分自身の積み重ねの賜物なのだ。

日本と世界の架け橋になりたい。12歳の時に抱き始めた夢。
この夢の実現において、10時に始まる魔法の空間はもちろんのこと、「日本」と「世界」の融合を意識した私の感性こそが夢に近づくための大きな味方になると信じる。