私は、本を読むのがすき。
私は、ブックカバーを作るのがすき。
本を読み終わったらまず、その本に合うブックカバーを考える。ドキドキさせられる推理小説は真っ黒な紙。繊細な青い春を描いた小説は、透ける和紙。暖かくて冷たい恋愛小説は、雪景色のプリントされた広告。気に入った小説には、一番お気に入りの紙を使う。この瞬間がなによりも楽しいのだ。

たくさんの紙を集めたファイルの中から、私だけの一枚を選ぶ

色や柄、手触り、厚さ。本にぴったりのものを探していく。たくさんの紙を集めたクリアファイルの中から、探していく。ブックカバーのために、と集めたお菓子の包装紙や、お気に入りの広告、ファッション誌の一枚を切り取って本のサイズに合わせて折っていく。
その作業がだいすき。

本棚に並んでいるのを見るのもすき。
私以外には分からない、似たようなブックカバーも中身はてんでばらばら。同じ灰色をしたブックカバーでも、片方は戦争小説。もう片方は、バッドエンドの恋愛小説。ああ、このブックカバーならこの本だ、と思い出す。

それでも時折、自分でも本の中身が分からなくなる。
そんな時は一度手に取って読んでみる。何故あの時の私はこのブックカバーを選んだのか。考えてみるのだ。そうして読み終わったときにようやく、そのブックカバーを選んだ理由が分かる。

一見明るい楽しい話に見えて、実は暗い、悲しい話だったから夕方の陽が沈む風景の紙を選んだのか、とか、天真爛漫な女の子が周りの人を巻き込みながら幸せになっていくから、ドレスを着て笑む女性の紙なんだ、とか。
そしてまた一つ、私の中に忘れることのない本とブックカバーが生まれるのだ。
だから、私の中で今まで読んだ小説を思い出すというのは、自分でつけたブックカバーを思い出すのと同じことだった。

単に“青”といっても、種々の色がある 小説だって様々

今や一枚のクリアファイルには収まりきらないほどに集まってしまった大量の素敵な紙を使うために本を読んでいると言っても過言ではないかもしれない。
そのくらい、楽しい。同じ青でも、冷たい海の底のような濃青、春の日差しが高校生を照らすような爽やかな水色、快活さの中にほんの少しの罪悪感を混ぜたような青白磁、ビルと人々の隙間から覗く疲れたような白藍。

単に“青”といっても、種々の色があるのと同じように、小説だって様々だ。
恋愛小説の中でも、ほろ苦くてお酒の味のする大人の恋愛に、運命に翻弄され切ない最後を迎える悲恋、現実ではあり得ないようなことが起こるファンタジーな世界での幸せな恋。

このたくさんあるもの同士を合わせずにいられようか。
だから私は、今日も本を読んではブックカバーを選ぶのだ。