築二十四年、駅から徒歩二十分、最寄りスーパーまで五分の我が家の冷蔵庫には、いつもグラスが冷えている。
お高いメーカー物でも、特別透明度の高い物でも無いけれど、薄青色で目盛りのついたグラスだ。
どこかの国の技術により強化ガラスで出来たそれは、五年前の春から、私が定時退社の日も残業の日も、いつも大変健気に、冷蔵庫の中で私の帰りを待っている。
アルバイト先のファミレスの店長が、成人祝いだと最終日に渡してくれたそれは、妙に厳重に紙袋の中に入れらていた。
それなりの挨拶を済ませ、最後のシフトから退勤した私は、その中身を一目見て気に入った。何だか製造とやらで、とにかく丈夫らしいそれには、その製造法がどれだけ素晴らしく画期的かという旨の但し書きまでが、ご丁寧に添えられていた。
事実、したたかに酔った私が悪気なくフローリングに転がしたとしても、弱音も吐かず、静かな佇まいを崩さないほどの物理的強度は勿論のこと、日付がかわる頃に帰宅したとしても、ひんやりと、じっと私を待っている精神的屈強さまで持ち合わせているのである。
尊敬するより他ない。
病める時も健やかなる時も、側にいてくれる奴
私が地元の中小企業に入社した年の冬はやたらと寒く、いくら厚着をしても首元はすーすーと風が通るようだった。
歓迎会とは名ばかりの、無礼講という大義名分を持ったごたまぜ飲み会でべろべろになって帰ってきた日、タクシーを降りるなり、自転車の鍵を半ギレでアパートの鍵穴にぶち込み続ける私を、奴は冷ややかな目で見ていたに違いない。
そんな日でさえ奴は優しく、冷たいお水も飲ませてくれたし、病める時も健やかなる時も、安月給の田舎のOLに見合った安酒を注がれながら、本当によく側にいてくれたと思う。
仕事でしくじってしまった日。
大層なぽんこつの私は、上司を困らせてばかりいた。それと比例した私生活も、もちろんぽんこつそのもので、学生の頃から付き合っていた彼氏に、通算すると両手で足らないほどの浮気をされ、家の前の坂道を初任給で買った中古の電動自転車で爆走して帰ってくる私を、やはり奴はきんきんに冷えながら待っていた。
よく冷えた、薄透明の無機物に話しかける私は酔っ払いで片付けられてしまうのかもしれない。けれど奴は確かに、私のしがない、ありきたりな生活に寄り添い、冷え切った体で寄り添ってもくれた。
出迎えてくれる物があるというのが、こんなにも柔らかな安心感だとは知らなかった。ひんやりとした無機物は、案外きちんと私と生活を共にしてくれていて、文字通り伴侶なのである。
今夜のうちから冷やして、明日の朝は、飽きもせず、うきうきと仕事に行こう。
だって何があったとしても、家に帰れば奴がいる。
明日も明日とて、楽しみに帰ろう。