高校時代からの友人が、婚約した。
23歳、お正月気分の抜けない2021年1月2日のこと。朝ごはんに、コタツで雑煮を食べている時、いきなりLINEで連絡が来た。待ち合わせの予定があったのだけれど、あまりの嬉しさに体が動かなくなって、遅刻しかけた。
こんなに嬉しかったことは、ここ数年で思い出せない。“結婚” についてのことで、ここまで自分が喜べるのに驚いた。

結婚は「選び取れるもの」であることに安心している

私は、結婚にあまり良い印象を抱いていなかった。尊敬する岡本太郎師匠はその制度に反対し、生涯連れ添った敏子さんと結婚せず、後々彼女を養子にした。
映画やドラマで「責任をとる」という言葉とともにプロポーズをするシーンを多く観てきたけれど、師匠の考えは違う。

「愛情だけが二人の仲を結んでいる。無条件の関係だから、男も女も相手に対して、いい加減にはなれない」

幼少期から様々なコンテンツに“結婚する責任”を刷り込まれてきたが、師匠は世の中の常識とことごとく反対の言葉を残している。師匠の考えだと、逆に結婚という制度に頼るのは、他力本願ということになる。昔は師匠に影響を受けすぎて、事実婚に憧れる高校生だった。

今の私はどちらが正しいというのではなく「色々な考え方があるのだから、結婚を絶対視しなくて良い」という考えだ。結婚が人生のチェックリストに必ず入るものではなく、選び取れるものだということに安心している。

迫られてではなく、2人だけの選択の先に結婚があったのだろう

婚約した高校からの友人は24歳で、世の中の“結婚しろバイアス”には該当していないと思われる。都会の高校であることも関係しているのか、元同級生から結婚話を聞くことはまだまだ稀だ。それでも、彼女は愛する人との結婚を“選び取った”。

「なんで結婚したの?」と聞いても、はっきりとした答えは返ってこない気がする。
高校時代から仲の良かった3人組に彼氏さんを加え、4人でピクニックしたことがある。無理に話題を作ったり、見栄を張ったりしようとしない二人だ。そんな二人だから、お互いの気持ちとか居心地の良さに導かれた結婚のように感じる。大学に入学して付き合い始めて、社会に出て2年目、二人だけの時間の中に、二人だけの選択があったのだと思う。

周囲を幸せにしてくれる結婚に「決断」「責任」は似合わない

結婚することを“決断”とは呼ばずに、“選択”と呼びたい。結婚はもはや“責任”という言葉と共に力づくで導かれる正解ではなく、ふわりと行き着く選択肢のひとつでしかないのではないだろうか。いい加減という意味ではなく、お互いの気持ちの方向が向いたら、結婚は気分でするもの。

そして、大切な人の結婚で周囲の人たちは、否応なしで最高にハッピーになれる。幸せにしてくれるものを、“決断”という重々しい言葉で表すのは何だかしっくりこない。
私はLINEをもらった日からずっと、勝手に幸せ気分で、結婚式に渡すギフトの内容を考え続けている。