私には、後悔していることがある。

それは、人生で二人目に私のことを「好きだ」と言ってくれた大学時代のあの人への返事をさんざん先延ばしにした挙句、本当の自分を知られることの恐怖で「友達でいてください」という答えを下したことだ。

なんでお前やねん。突然他人から知らされたF先輩の気持ち

大学3年生の私は、失恋したばかり。1年後の就職に向けた試験に向けてなんとか気持ちを切り替えようとしていたものの、ショックから立ち直れないでいた。ようやく大学とアルバイトと遊びの両立を覚え始め、充実し始めていた。そんな時、ある日のアルバイト中にバイト仲間の先輩にこんなことを言われた。
「F(彼の名前)のこと断るなら、早めに断ったほうがいいよ」

え?どういうこと…

私は寝耳に水だった。絶対にないと思っていたアルバイトの先輩にどうも思われているらしい。

なんでお前やねん。

正直私は白けていた。なぜなら、私はアルバイトの別の子のことが気になっていたからだ。本当は、元カレと付き合う前からちょっとだけ気になっていた。だけど高嶺の花だと諦めて、密かに憧憬の念を抱いていた。しかし、そんな彼は、後から入ってきた別の女の子を狙っていたらしい。
なぜよりによって、F先輩?
正直この時期が失恋の次に辛かった。こんな私の気持ちをよそに周囲は「F先輩と私」それから「高嶺の花の彼と友達の女の子」に対して早くくっつけと煽るかのように盛り上がっていた。私は一人何をしているのだろう。

振った後もそばにいてくれる先輩。私はまだあの秘密を話す勇気がない

一人悩む日々が続きながら、F先輩からのご飯の誘いなどにも断りきれない日々が続いていたある日、ついに告白された。
いつも多弁で愉快な先輩が、言葉を詰まらせながら「好きです」の一言を絞り出すのに時間をかける姿を見た時、初めて緊張した。
こんなに好きでいてくれたんだ…

でも、私は1回目は断って諦めてもらうつもりだったので、Yesとは言わなかった。だけど、初めて人を振ったあと、自分でも想像できなかったほどひどく落ち込んだ。まるで人を殺めてしまったかのように。

その後、何事もなかったように先輩の器の大きさにあやかり、アルバイトの仕事や勉強を教えてもらったりしていた。

年が明けて1ヶ月後、また2人きりになる機会があった。ふと帰り際に先輩はつぶやいた。

「気持ち変わったりしてない?」

私は、1回目からずっと考え続けていた。本当にこの人を振ってよかったのか…だけど1つ気がかりなことがあった。それは、元彼にカンジダ症にかかった経験を話した時に、気持ちが瞬く間にすれ違ってしまったことだ。私はこの失敗を経験している以上、1度あることは2度あるのではないかと常に不安で、慎重になっていた。どうにも、事実を話す勇気が湧かなかった。だから、「今は就活に集中してそれが終わったら考えます。」と返事をした。「僕はいつまでも待つよ」それが先輩の答えだった。

それから、私は、試験に向けてアルバイトを休んだ。その間も、病んだ時には先輩に電話で話を聞いてもらった。面接の練習に付き合ってもらった。F先輩は、私にとっていつのまにか「絶対にないただの変わった人」から、「なんでも話せる存在」に変化していた。しかし、いつまでも迷い続けてられるなんてそんな悠長で幸せな日々は続かなかった。
先輩は実は半期ほど留年していた。私の試験が終わると同時に、試験の結果を待たずして先輩との物理的な別れが近づいていた。

物理的な別れをしてから1年半、減っていく連絡と反比例し思いが膨らむ

先輩が引っ越す前夜。私は勇気を出して一つの決断をした。
遠距離から始まったら、うまく気持ちを保てるかわからない。それに、人が病んだ時はいつまでも話を聞いてくれるのに、自分が病んだ時には鈍感な先輩。気付かないうちに病んで、アルバイトに来れない日も何回かあった。距離が離れたら余計先輩のの辛い時に気付けない。そして…カンジダ症の経験を話すという自分の壁をやっぱり越えれなかった。それなら友達として、距離が離れてしまっても、より良い関係を続けられるのではないか。この、迷いに迷った決断を「いつまでも待たせてごめんなさい。ずっと仲の良い友達でいてください」の言葉に込めた。自然と涙が溢れた。
先輩は、「しっかり考えて出してくれた決断。それがカフェラテの魅力だよ」と言ってくれた。次の日も1日中涙が止まらなかった。

物理的な別れをしてから約1年半。初めは頻繁にしていた電話も、だんだんと無くなってきている。不思議なことに距離と反比例して先輩への思いと後悔が膨らんでいく。電話での会話でどうしても、言いたくても言えない一言。

「私には、後悔していることがあります。私をずっと気にかけて、初めて私の魅力に気付かせてくれたのに、私は、自分が傷つきたくないからと、最後まで自分の壁を越えられませんでした。先輩、ごめんね」