小さい頃から学校の教室のように、人が集まる場所が苦手だった。自分の発言や行動に対する周りの目を過剰に気にしてしまうからだ。
それは今も変わらずで、人混みにいたり電車に乗ると疲れてしまい、体調不良を起こしてしまうこともある。
周りの友達はこんなことで悩んでいないのに、と落ち込んでいた。

「いるんだかいないんだかわからない」と言われ、悔しくて涙が出た

大勢がいる場所で振舞うのが苦手だったのは、小学校の時からだった。発言することによって、こっちに視線が注目するのが怖かったし、話す内容に対してどう思われているのかを極端に怯えた。
自分が話し始めると会話が止まってしまう気さえして、言葉を発することができなくなっていったのだ。

相手の機嫌が少しでも悪いと、私がいけないような気がして、いつも様子を伺って過ごしていた。そうやって自制していくうちに、いつの間にか私は内気な子、暗い子になってしまった。

進学するタイミングで周囲の環境が変わっても、自分自信を変えることは、簡単にできなかった。変わりたくて、明るく振る舞っていたこともあったけど、自分を偽って過ごせる時間はそんなに長く続かない。

高校生の時、進路相談で担任に「〇〇さんは本当静かだよね、いるんだかいないんだかかわかんない」と言われた。
私はいなくても変わらない存在なのかと悲しくなったのと同時に、私のこと何も知らないくせにと、何か悔しくて涙が出た。
この言葉にとても落ち込んだけれど、恥ずかしくて、情けなくて誰にも相談できなかった。

大学生になっても、自分をさらけだすことができなかった

やっぱり、自分を表現することが大の苦手だ。だから、友達作りには苦労した。
自分をさらけだすのが不得意なため、一度遊びに誘われても、相手の様子を伺ってばかりで当たり障りのないことしか言わず、つまらない子認定されて、次からは誘われなくなってしまう。

ただ、一対一で接している時は、割と自分の話をすることもできたから、そうやって会話を続けられるよう努力した。
だんだんと、こんな私でも一緒にいて楽しいと言ってくれる友達もできて、これが自分なんだと受入れられるようになってきた。

だけどやっぱり、大学に通いはじめて、サークルでワイワイ楽しそうにしている子を見ると、羨ましいな、私もああなりたいと思うことはしょっちゅうあった。
私もサークルには所属したが、どうも雰囲気が苦手ですぐに辞めてしまった。
どうして自分はああいう風に、みんなと仲良くなれないんだろうと悩んでばかりいた。

「これが私なのだ」自分のことを肯定できるようになった

そんな中、インスタグラムでHSPに関する投稿を見つけた。HSP、いわゆる繊細さんの特徴は、まさに私が感じていたことと一致している。
この投稿を見つけて、同じように感じて生きている人がたくさんいること、私のような経験が症状化されていることに驚いた。

調べていくうちに、HSPだからこそできることが多くあることも知った。今まで無意識にやってきたことが、「場の雰囲気や人の感情を敏感に察知し、相手の気持ちに寄り添うことができる」と、プラスに捉えられることにも気づいた。

私の人生は、挑戦せずに諦めてきたことが多い。就職活動の時も、面接に行くのが怖くて、必要最低限の会社しか受けず将来とまともに向き合わなかった。妥協して決めた職場に入社し苦労していることもある。

そんな弱い自分が嫌いだったが、今になって、ようやく自分を受け入れられるようになってきた。
今の時代は、恵まれたことに自分を明かさなくとも自己を表現できる場所はいくらでもある。今だって、直接話をしなくても、文章で思いを伝えることだってできる。

今まで、他人と比べ、自分にはできないことばかりを探して落ち込んでいた。だけど、他の人にはできないことでも、私にできることはある。
自分を否定し、変わりたいとばかり願っていた私が、HSPという言葉に出会って、「これが私なのだ」と少しずつ自分のことを肯定できるようになった。