私の2021年の抱負はズバリ、インスタグラムをアンインストールすることだ。これまで本当にインスタには振り回されてきた。いや、インスタが悪いわけではない。情報の取捨選択ができない自分が悪いのだ。友達に今時インスタくらいやらないと時代に置いていかれるよ、と勧められ、せっかくアカウントも作成したんだし…と、なんとなくズルズルと都合の良い関係を続けてきた。しかしもういい加減疲れた。どうやら私とインスタは相性が悪かったようだ。

技術とセンスがないなりに、映える写真のため頑張った。無理をして

私は現在、SNSはツイッターとインスタを使用している。ツイッターはわりとカジュアルで、言葉にさえ気を付ければゆるりとツイートすることができるので気楽だ。それに比べてインスタは、どうも見栄の張り合いのように感じで気が重い。見る専門のつもりでつくったアカウントも、知り合いからフォローがどんどんきてストーリーくらいあげなよと言われるようになり、少しだけストーリーを更新するようになった。そして後に記事もしっかり投稿するようになっていた。私は写真を撮るセンスがないし、所謂「映える」スポットにも行かないので全くインスタには向かない。それでもいいねがつくと嬉しかった。そしてもっといいねが欲しいと思うようになり、技術とセンスがないなりに、映える写真を撮れるように頑張った。無理なくできればそれは何も問題ない。しかし私はかなり無理をしていた。

段々写真を撮るためだけの生活になっていったのだ。カフェに行っても、食べたいものより彩りが良くて映えそうなメニューを選んだり、友達と過ごしていても写真を撮ることに夢中になりすぎたり。そしてある時、ふと自分がインスタに洗脳されていることに気づいた。インスタを開けば鮮やかで美しい写真がたくさん出てくる。どれも羨ましくなるような写真ばかりだ。でもそれは当然、そのように撮影しているからである。そんな当たり前のことに気づいた私は写真を撮ることに疲れ、しばらく見る専に戻ろうと思い、投稿をやめた。

取り憑かれた私は、いつしか純粋に楽しむことができなくなった

人の投稿を見るのは好きだった。好きなアパレルのファッションコーディネートや、美味しそうなスイーツ、友達の日常。しかし、自分もいつも心が元気なわけではない。落ち込んでいる時や卑屈モードに入っている時にインスタを開くとキラキラ眩しくて見るに耐えない。自分が仕事に忙殺されている時に、誰かが遊びに行って楽しそうなストーリーをあげていると妬ましく思ったり、好きな人のフォロワーが妙に気になってしまったり。もやもやすることが増え、インスタを開くのが億劫になっていった。それでもアンインストールする勇気は出ずに今も尚アプリフォルダの中で眠っている。

その後も時折開いてみては人の投稿を見てチクりと胸が痛んだ。酷いときはクラクラと目眩がした。インスタに取り憑かれた私はいつしか純粋に楽しむことができなくなったようだ。

流行だからといって、無理にしがみつく必要はないだろう

SNSなんて基本は自己満足だと分かってはいても、生活の綺麗な部分、自慢できるところだけを切り取ったインスタはやはりどうしても苦手だ。自分には何もないということを証明されてしまうようだからだ。もちろん、ヘアスタイルやオシャレなスポットを探すにはもってこいだし、最近ではLINEよりもインスタのダイレクトメールの方がコミュニケーションを取るツールとしては主流になってきているように感じる。うまく活用できればもちろんそれが良い。しかし、もう自分に必要ないと思うのであれば手放すべきなのだ。流行だからといって無理にしがみつく必要はないだろう。

そう理解はしていてもなかなかアカウントを消すことができないので、今年こそSNSの断捨離、情報の取捨選択を最大の課題としてまずはインスタをアンインストールすることを目標とする。