痩せたいと、毎日思う。どんな服を着ても、何を食べていても、痩せたいという気持ちが常に付き纏っている。
そして、長年心で唱え続けた「痩せたい」はいつしか呪いになって、澱んでいった。
中学生になった頃から、太りやすくなった。親も祖父母の代も太っていて、むしろ私は家族の中では痩せている方だと思う。「うちはみんな明るいデブだから」と笑っている家族に、心の中でひとり反発していた。それでも、一歩外に出て周りと比べると、やっぱり太っている自分が嫌になった。
仲良しメンバーの中で、「明るいデブ」として存在していた
私の友達はどういう訳かいつも可愛い子が多くて、親友は華奢で可愛い学校一の美少女だった。仲良しメンバーの中で、気が付けば紛れもなく「明るいデブ」として存在していた。
「本当に美味しそうに食べるよね~!見てるだけで幸せになっちゃう。これも食べる?」とニコニコする友人たちは本当に心からそう思っていて、私を大事な友達だと思ってくれていることに今も昔も疑いはない。でも、私の中で、それらの言葉や眼差しは少しずつ、少しずつ降り積もった。
本当は、服も、メイクも大好きだ。食べ物じゃなくて、デパコスを見ている方がテンションが上がるし、ラインが出るようなワンピースも、ハイヒールも大好き。きっとそれを素直に伝えたらよかったんだと思う。それで馬鹿にしてくるような友人たちでは断じてない。それでも、恥ずかしくて言えなかった。可愛い友人たちの中で、「明るいデブ」であることから抜け出すのは、当時の私にはとてつもなく高い壁に思えた。
「痩せたい」が叶ったのに、ちっとも、幸せじゃなかった
そして、進学に伴って上京した私は、ある日ご飯が食べられなくなった。食欲というものを一切失った。何かを食べたいと思うことも、美味しいと思うこともなくなった。生命維持のためにゼリー飲料を適当に摂取して、学校も部活もアルバイトもこなす日々は充実していたし、食事にお金を使うくらいなら別の楽しみに使いたかった。痩せていく自分が、どんどん可愛くなっている気がした。そうしているうちに、当然のように体調を崩した。
数日間下がらない高熱で倒れ、救急車で運ばれた頃には、肌は荒れ、学生時代すら悩んだことのなかったニキビが顔中にでき、体力も筋力も落ち切って、駅の階段さえ一息には上れなくなっていた。もはや一般的に痩せ型に入るほどまで体重は落ちていた。栄養失調と慢性胃炎、抵抗力が落ちているため、点滴を打たれた。血管をつたって体内に入っていく薬剤さえ、太ったらどうしようと気が気でなかった。
あれほど願った「痩せたい」が叶ったのに、ちっとも、幸せじゃなかった。
「明るいデブ」なんてレッテルを自分で貼りつけて、卑屈になっていた
親にも心配をかけ、長い時間をかけて回復するにつれ、やっと気が付いた。「明るいデブ」だなんてレッテルを自分でべったり貼りつけて、ただただ、卑屈になっていた。「痩せたい」はいつしか「痩せなきゃ」になり、自分を縛って呪って大切なものをたくさん見落としていたと思う。きっと、美味しいお店を見つけたとき、明日一緒に行こうと誘ってくれたあの関係こそ、私にとって何にも代えがたい幸せのかたちだった。
これから先の人生、華奢でもぽっちゃりでも、もっと言うなら美人でもデブでも、幸せと不幸せの区別なんて曖昧で、自分が何を拾い上げて、どんな眼鏡で見るかで変わっていくのかもしれない。それなら、楽しいも美味しいも、もっと大切にしたい。
「私、本当はさ、化粧品とか服とか、大好きなんだよね」
自虐コメントを続けそうになるのを必死に堪えて、できるだけさらっと告げると、久しぶりに会った親友は、一瞬きょとんとした。
「え?うん、知ってるよ、本当はもなにも、昔からおしゃれじゃん」
そう言って、相変わらず可愛い顔で笑った。