HSPとは、Highly Sensitive Person,すごく感じやすい人、という意味だ。
ただの性格、気質で、真面目な人、楽観的な人、人見知りをする人、などのような特徴のひとつ。
涙もろい、人目を気にし過ぎる、ちょっとしたことでも深く悩む、ピリピリした空気が苦手、すべての物事に感情移入する、といった内側のことに加えて、人混み、光、音など外側にも敏感な人。
内側だけ、外側だけの人もいれば、一部だけ当てはまる人もいる。
私はHSPの特徴にほぼ当てはまる。
いわゆる情緒不安定で気にしすぎる女の子で、生徒で、仕事仲間で、彼女だった。
服装や体型のことを言われて思い詰めて摂食障害、
周りを気にしすぎた結果いじめられて不登校寸前、
クレームを真に受けてその後の接客のパフォーマンスが落ちたり、
メンヘラ彼女だったり。
損ばかりだった。
一応いいとこを加えると、困っている人は絶対に助けられるところくらい。
傘を忘れた人、目が見えない人、スーパーの帰りのおばあちゃん、信号のない歩道を渡りたい人。
友達に相談された時、頼み事をされた時。
彼らに私がどんな声掛けと行動をしたか、わかるかな?
困っている人に感情移入してしまって、自分のことのように感じてしまってほっとけなくなる。
私にとっては当たり前のこと。
それから、怒られた時、約束を破られた時、冷たい返信がきたとき、別れた時、動物や社会的マイノリティのドキュメンタリーを観たとき。
私が何を思ってどうなるかわかると思う。
自分が心の病になった時は、言い訳だと思った
敏感で感情的な自分が大嫌いだった。
変えたいけど、どうしたら変えられるか見当もつかない。
自分は弱い人間だと思っていた。
こんなだから、摂食障害に加えてうつ病と双極性障害の診断も受けた。
バイトを辞めたり、インターン先でもクオリティにバラつきが出たりしていた。
悩みに支配されて、せっかくのオフも楽しめなかったことも多い。
雇ってくれた方々、先輩、友達、彼氏たちにも迷惑をかけてきた。
一方で、私は言い訳が嫌いだ。
自分が心の病になった時は、言い訳だと思ってた。
もちろん、他の人にはそう思わない。心の病に1番効くのはよく休むことだと思うし、無理なんて絶対にしないでほしい。今まで本当に大変だったんだな、って思う。よく耐えてきたね、って。
この悩みを相談すると、“感情レベルまで深く寄り添ってあげられるんだよ”、“親身になれるって特別なことだよ”、“繊細だからこそのいいところいっぱいあるよ”、と言ってもらうけど、いいところなんて1個もない。
とにかく意識しない、何も考えないように心がけた
たまたま“HSP”というワードを見かけて、ネットのセルフチェックをしてみたところ、かなり高い数値が出た。
打たれ弱いと思ってたけど、性格なんだ、ただの気質なんだ、って気がついた。
それ以来、“れてぃの安心感がすごい”、“親身になってくれてありがとう”、といった言葉に対して“力になれてよかった”、と言えるようにはなった。
それでもやっぱり弱い自分が嫌で、何とかしたかいという思いは変わらなかった。
だから、まずは外側の弱さから処理し始めた。
例えば花火大会。
打ち上がった花火は大好きだけど音がつらい。
耳をふさぎたい。帰りたい。
人混みは吐き気がする。
浴衣とメイク崩れてないかな、スリにあってないかな、ここ邪魔になってないかな、って、頭をフル回転させるのが普通だった。
そして毎日の通学。
乗降者数世界第3位の駅が最寄りの大学に通う私は、毎日毎日移動だけで頭がくらくらして、駅の移動を考えただけで大学に行けなくなることもしばしば。
そんなんじゃせっかくの夏の風物詩も楽しくないし、キラキラ大学に通ってるのにもったいない。
そこで試したのが、“息をしない”こと。
呼吸を止めるということではなくて、とにかく意識しない、何も考えないようにした。
”無”になって、自分がただの物体になったつもりで体を機械的に動かすようにした。
“息をしない”を内側に応用し始めたのは半年前。
バイトに行くだけ。シフトに入ってるから。
履歴書を書くだけ。なぜなら内定が欲しいから。それなら、自信がないとか言ってないで、プロに添削してもらおう。
そしたらバイトもコンスタントに通えたし、疲れなくなったし、最強の履歴書が完成して内定が出た。
就活がやっと終わったことで、私は息をしないことがいかに素晴らしいか実感した。
ただ事実だけを見る。
人が多いだけ。音が大きいだけ。
スマホを相棒に夜更かししちゃったけど、時間は取り戻せないからしょうがない、今後気をつけよう。
遅刻されたけど、しょうがない、そういう子なんだから。
それで終わるようになった。
感情は一切持ち込まないから、落ち込まなくなった。
自分のいいところが消えた。でも、弱い自分には戻りたくない。
低気圧でも生理前でも、いつもと同じ自分でいられるようになった。
続かなかった日記や筋トレが続くようになった。
だって、書くだけだもん。体を動かすだけだもん。
ステキな女の子になりたいんだもん。
強くなれた気がして、進化した自分を気に入っていた。毎日が楽しかった。
しかし、新たな問題が見つかった。
興味が湧かなくなったこと。
感情と心が冷えていること。
相談されても、感情には寄り添えなくなったこと。
一歩引いて物事を見るようになったこと。
感動しなくなったこと。
おもてなしをしなくなったこと。
今は、いかに感情的にならないか、疲れない生活をするか、筋トレと日記の継続、の3つにしか興味がない。
もちろん相談は乗るし、話も聞く。
優しくて楽しい女の子であるように心がけてる。
それでも前みたいに深入りしていない自分に寂しさを感じる。
私の取柄って、相手に感情移入して話せることじゃなかったっけ?
”感情レベルで寄り添う私”から、”フィードバックとアドバイスだけの私”になってる。
そんな自分が怖い。
自分の良さを失った怖さと、気を抜いたらHSPの自分に戻ってしまいそうな怖さ。
コンプレックスを解消したら、自分の取り柄が消え去った。
自分のいいところがなくなった。
でも、弱い自分には戻りたくない。
HSPって確かに生きづらい。
でもそこに私らしさがあったし、私にしかできないこともあったはず。
この3カ月でHSP要素、要するにコンプレックスが完全に抜けたけど、一方で寂しさと焦りが出てきた。
進化したはずなのに、退化したのかもしれない。
社会人を目前にした今、私は生まれ変わるタイミングなのかもしれない。