「バズ」に押しつぶされそうになっていた。
目が覚めれば、ほとんど無意識にTwitterアプリを開き、今のトレンドや話題のコンテンツを眺める。

乗り遅れるかもしれない。私は「バズ」に押し潰されそうだった

いろんな人が見つけた「これかわいい!」「これおもしろう!」が渦となり、リツイートがリツイートを呼んで、全く繋がりのない私へも届く。バズっているツイートを、反射的に、自分の「今度食べる」「やってみたい」リストに追加する。

知らないと損をするかもしれない、乗り遅れるかもしれない。
面白いものを見つけなくちゃ。情報情報情報。煌びやかな写真や、意外性のある作品。どれも刺激的で、私が求めているものに感じられた。

しかし、なんだろう。
ふと不安になることが増えてきた。
コロナで家にいる時間が増えて、自身について考える時間が長くなったのも要因だったかもしれない。

SNSのキラキラした世界ではなく、ただそこにあるものが目に入ってきた

「私が本当に素敵だって思うものって、なんだっけ…」

そんなことを思ったある日曜、散歩に出かけることにした。
普段は家を出ても駅に直行するだけで、ほとんど近所を無目的に歩くことはなかった。
だけど、今回は目的のない散歩だったので、ただただ近所の通ったことのないような知らない道をひたすら進んだ。

歩いている間は、スマートフォンを触れない。
SNSの海にも溺れられない。トレンドも見られない。

そんな環境で目に入ってきたのは、ディスプレイ越しのキラキラした世界ではなく、ただそこにあるものだった。初夏を迎え青緑色になった桜の葉や、あんまり見ないような変わった形をした家、こじんまりとしてるけどおしゃれな個人経営のカフェなど、今までは気にしなかったようなものたちだった。

「中学校の入学式の後、少し経った季節を思い出す青緑だな。この時期は、クラスに馴染めるかどうかドキドキしてたな」

「こんなお家に住んでいる人はどんな人なんだろう。口元髭をこさえた個性的なおじさんとかだったらぴったりだな」

「このカフェ、ウッド調でおしゃれだな。こんなカフェでボサノバとか聴きながらほろ苦いエスプレッソを飲みこみたい……」

目に入るものが、今まで以上になんでも新鮮に思えて、自分の中の妄想やストーリーが止まらない。どれを見てもいろんな想像が掻き立てられて、歩みを進めるたびにワクワクした。

バズったりシェアされたりしなくていい。私は私自身がワクワクする世界を描きたい

ふと思う。
今までは、とにかく刺激を求めていた。
もっと綺麗で、もっとかわいくて、もっとみんなが興奮するような何か。
SNSでシェアしたり友達に話したりしたら、興味を持ってもらえるような何か。
そうでないと世の中から乗り遅れてしまうから。

でも、それらを消費しても私の心は空っぽだった。
ただ宣伝通りの、もしくはそれにいたらない感動に終わり、私自身が見つけた、私自身のワクワクには変わらなかった。

だけど、一歩家を出てみて、歩くだけで久しぶりに心からのワクワクを感じられた。
街は変わっていないはずなのに、まるで街全体が図書館になったかのように、目に入ってきたものそれぞれに物語を感じられた。

忘れてしまっていたけど、私が好きなのは、こういう時間だ。

人が作った刺激に、惑わされなくていい。
自分自身が面白い、ワクワクする世界を、自分の頭の中で描いていい。
そして、それはバズったり沢山シェアされたりしなくていい。

人にはわかってもらえないかもしれないが、私の想像の世界で生まれたワクワクが、今は一番面白い。