「なぜ人は、結婚するんだろう?」
会社の先輩たちとの飲みの席で私はため息をついた。
そのころの私は、20代前半ながら結婚しない自分の人生を考え始めたころで、結婚・出産こそ幸せと考える母に対して反発していた。子どもを産まない女は一人前じゃないよ、と何かの拍子に母が言ったのをきっかけに親子喧嘩した翌日だった。
「そりゃあ、カブトムシのオスとメスがいたら、誰だって子ども産まないかなって思うでしょう。親が子どもの結婚や出産を望むのにも悪気はないはずだよ」
50代の先輩はそういったが、女性の生き方の悩みやプレッシャーは、男性にはわからないのかもしれない。

結婚生活への期待と現実とのギャップ。振り回される日々

かくいう私も、大学時代までは結婚=幸せという期待を抱いていて、自分も当然結婚するだろうと思っていた。
私の両親は大変仲が悪く、私の高校時代には私ではなく母が反抗期の娘のようになって「近寄らないで!気持ち悪い」などと父を罵っていた。母のパート収入では一人で暮らしていけないから離婚できないのだな、などと思いながら、自分こそは両親と異なる幸せな結婚生活を送るのだと、心に決めていた。

しかし、社会人になってからは結婚に対する期待も崩れた。
コンサル会社で働く私の先輩たちは結婚の苦労話や愚痴がほとんどで、幸せそうな話はほとんどない。「離婚して2サイクル目の婚活中」「あの人はそろそろ離婚して3サイクル目かな」なんて話しているし、「恋愛も結婚も短サイクルで回していくのが大事よ」というアドバイスまでもらった。
業界的に帰りが遅くて出張も多いなど、結婚生活に不都合な働き方であることも影響しているかもしれないが、結婚は辛いというイメージを植え付けられ、今の仕事と結婚生活の両立は難しいかもしれないと思うようになった。

今は結婚にこだわらない多様な生き方が認められるようになったが、親世代の古い価値観は私達の世代にも根深く刷り込まれていて、周りの友人のほとんどが結婚に憧れを抱き続け、出産の年齢から逆算して何歳で結婚するか、計算に余念がない。産休・育休といった制度はあっても、それがいつになるのかという不安がつきまとう。
私も結婚を真面目に人生計画に組み込むべきなのか、キャリア形成に振り切るべきなのか、二者択一を迫られているように思えて、悶々としていた。

結婚は一つの通過点。そう思ったら心が軽くなった

考えが変わったのは最近である。
結婚して2年経つ先輩が夫婦で海外で働くことを目指すと聞き、結婚しても自己実現を諦める必要はないのだと気づくことができた。
考えてみれば、結婚・出産の時期は自分の意志で決められないとはいえ、実際にそうなる前から案じるのは、自分の人生を自分でコントロールすることを放棄しているに近い。その時がきたらキャリアの微調整は必要になるが、結婚しようと子どもがいようと、自分のやりたいことを続ける権利はあるはずだ。
忙しくて十分に家事・育児ができないなら、家族または外部のプロの力を借りることもできる。自分の子どもであることに執着しなければ、出産年齢のリミットに縛られず、養子縁組などの形で子どもを育てることができる。

結婚・出産といった他人に影響されるものを優先してキャリアを描くのでなく、自分が目指したい姿・成し遂げたいことが先に来るべきではないか。夫や子どもに人生を捧げたいと本気で思うならそれもよいが、自分の人生の責任を持つのは自分なのだから。
そう思い至った私は、いつか実現できなくなることを恐れて描けずにいた自分のキャリアロードマップをようやくノートに描き出した。

今の私は、結婚したいかと聞かれれば、してもいい、と答える。
人間は生まれるときも死ぬときも結局一人なのだからと、一人で生きていく覚悟や準備はしているが、いつかはお互いを応援しながら人生を並んで走れるパートナーに出会えたら嬉しいと思っている。その人との関係性として結婚という形が最も良いとなれば、すればいい。
そう思うようになってから、心が軽くなった。