わたしが働く理由は、私の“翻訳"で伝わる人が増えるとうれしいから。

某メディアの広告事業部でプランナーとして働く私の仕事は、企業様の商品をより多くの人に知ってもらう・使ってもらう企画をつくること。

商品のいいところを届ける仕事なのに、表面的な提案ばかりしていた

多くの商品が膨大な金額や時間、分析によって作れられている「いいもの」であるものの、現代には「いいもの」が多すぎるがゆえに選ばれなかったり、そもそも知られていないものがたくさんある。そういったものたちを、商品のメリットを享受し得る方々に届けていくことが仕事だ。

しかし、消費者目線にたつと「広告だからいいところしか言ってないんじゃないの?」「私に本当に合うかな?」など、広告に対して懐疑的になる気持ちが、どうしてもある。企業発信だと、信じてもらいづらい場合もある。だからこそ、この“どのように届けるか”が私たちの力の見せ所なのだ。

入社当初は、目立つような企画を作れば、もしくは情緒的でエモいワードを選べば、誰かの目に入るだろうとかなり安直に考えていた。商品の表面ばかりなぞり、自分の企画力やプレゼン力を誇示するような提案をしていた。そんなんだから、企画が通らない。受注できない。かなり、へこんでいた。

自粛期間中、生活の悩みに正面からぶつかり商品の描くシーンが見えた

そんな中、自粛期間が一つの転機になった。いやでも“生活”の悩みに真正面からぶつかり、わたしははっとした。いつもは仕事や生活をこなすのに必死で、なんとなく乗り切っていた食事や掃除といった細やかな生活の悩みに改めて気づくことができた。例えば、自炊が増えたにも関わらずレパートリーの少なさから、食事がなんだか楽しくなくなってきてしまうモヤモヤ。家にいる時間が増えればこそ嫌悪が募る、部屋に散らばる髪の毛…。今までは休日に気がついても、まぁいっかでやり過ごしてきたことが、週7日家にいるとやり過ごせなくなって、イライラしてしまうあの感じ。

そこで、「ああ、あの商品って毎日こういうことでモヤモヤしてる人のための商品なんだ…」と改めて気づくことができた。今までは、なんとなくこんなシーンだろうと適当に描いていたシーンが、解像度高く見えるようになり、今までの自分の想像力の浅さに愕然とした。

あの商品が、このモヤモヤを少しでも和らげてくれるなら、絶対にすがりたい。その切実な気持ちを実感でき、実際使ってみたら気持ちが晴れた。

本当の気づきを言葉にして、企画に落とすことで、面白いくらい企画が通るようになった。ユーザーから「共感した」「まさに求めていたもの」などの反応をもらえて、心から嬉しく、商品のことを誇らしく感じた。

商品の良さを届ける「翻訳者」になり、誰かの毎日を明るくしたい

企画力やプレゼン力とかそんなものではなく、“商品が生み出すメリットを解像度高く見る”ことが私の新しい強みになった。この強みを忘れず、奢らず、考えぬくことで、商品を消費者によくわかる言葉・企画で届けられる「翻訳者」になれ得るのだと感じた。

良いものが溢れる時代だからこそ、自分に本当に合うものだけ欲しい。そんな人たちに、合うものを知ってもらうための翻訳者として活動したい。商品をきっかけに誰かの毎日がちょっと明るくなったら、わたしはかなり嬉しい。仕事を通して、このことに気づいてしまったから、仕事をやめられない。

あの調味料で、誰かの食卓にひとさじの刺激が生まれますように。あの食材で作られたおいしい料理が小さな喧嘩が終わらせ、柔らかい夜が訪れますように。

わたしの“翻訳”がだれかを、そして社会を、少しでも明るく照らす手伝いになることを願って、わたしは今日も働く。