2021年、いつの間にか始まっていましたね。
家電量販店勤めからすると、12月はクリスマス商戦に、年末年始商戦と稼ぎどき。
仕事に忙殺されて、いつの間にやらひと月が終わっているのが常だ。
今年もコロナだなんだと政府やマスコミは自粛をうたっていたが、世間様はなんのその。
量販店は大賑わいで、密も密。
ソーシャルディスタンスなんてあって無い様な距離感で一歩歩けばお客様に声をかけられ問い合わせや接客をしている内に、大晦日どころか三が日も終わってしまった。
これを書いている現在は緊急事態宣言の再発出が決まったことで世間も騒がしければ、自店舗の運営体制はどうなるのか、と身の回りも騒がしい。
ただ、いつにも増して今年も引きこもりに拍車がかかるのだろうな、というふんわりとした予感はしている。
ステイホーム期間は内向的な私にとって快適だった
2020年はおうち時間の長い一年だった。
日本全土が緊急事態宣言で、約一ヶ月の間多くの人が家から殆ど出ることもなく過ごした。接客業従事者の私もその一人で、ついたばかりの有給を強制消費した一ヶ月半のニート生活だった。
どちらかというと内向的で、単独行動が多く引きこもり気質な私でも、かつて無いほど自宅にいた期間。世の中にはコロナ鬱なんて言葉もある程、人と会えないことを嘆く風潮もあったが、私は快適そのもの。
煩わしい人間関係、聞くに堪えない罵詈雑言。社会で生きていく中で逃れられなかった様々な柵から解放された楽園の様な時間だった。カムバックニート生活。とか、ちょっと思ってしまっている。
「自分を大切にしてた?」自粛期間で気づいた「私、このままでいいのか」
…そんな話は置いておいて。
誰とも合わない一ヶ月間は自分と向き合う一ヶ月間でもあった。
それまで寝に帰るだけだった家が生活をする場所になった。
生活をする様になるとおざなりになっていた部屋の掃除だってしっかりするようになる。
趣味の日記にマスキングテープでゴテゴテした装飾もするようになった。
そうした生活の中で気づいた。
私はもしかしたら、あまりに自分に優しくない人生を送って来たのではないか?と。
夜遅くまで働いて、日に一回は理不尽な客に罵倒される。平日は店と家の往復。休日は寝て終わる。そうやって人並みに働いても雀の涙の給料で、固定費を払ってしまったら残るのは僅か。
遊びに行くにも財布の中身を気にしてしまうし、散財なんてもっての他で、ほつれるまで着古さないと新しい服だって買えない(買わないだけかもしれない)。
最近は結婚ラッシュで、御祝儀貧乏なんてやつ。友人とはいえ他人の幸せに金を毟り取られている気分だ…。
文章に起こして字面にしてみると、ああ自分こんな風に思っていたんだなあ、と自分の矮小さに嫌気がさしてくる。
他人の幸せも、みみっちい金勘定の中。
宣言します「脱消極的思考!積極的な転職活動の開始!」
先々の職場のことや家賃のこと、心配の種は数々あったが、ずっと何かに追い立てられているような不安感が消えた。喧騒から解放された日々は穏やかで、人と会うこともないので自然に自分と向き合う時間も増えてくる。
これまで合わない合わないと思っていた接客業。合わないと思いながら続けるものなのだろうかという疑問が湧いてきた。
一つの物事に集中して取り組むことが得意な質だったことを思い出した。
今まで、消極的な選択で今の会社に居残ってきた。
後から入って来た人を見送ることが続いていた。
2021年は、そんな消極性からの脱却を謀る年なのかもしれない。
私が見送られる立場になる年になるかもしれない。
いや、そうなろう。
自分に優しく、積極的な転職活動!
withコロナの時代。難しい選択なのかもしれない。
でも、これが2021年、私の宣言だ。