社会人になって4年、26にもなるとSNSでは頻繁に、結婚式で撮られた懐かしい顔ぶれの集合写真や、婚姻届の「婚姻届」という文字の上に並べた指輪の写真が目に飛び込んでくる。
それが女子の投稿ならほぼ100%、「苗字は◯◯になります!」などと書かれている。
そういう類の投稿を見て、結婚と幸せが結びついていることや、結婚は人生においてプラスの要素であると信じられることへの羨ましさでいつも少しモヤモヤしていた。
親戚のおじさんたちを見て結婚の必要性など微塵にも感じていなかった
わたしは、2人姉弟の父と、3人兄妹の母から生まれたが、従兄弟はいない。50代になった親戚のおじさん、おばさんは3人とも独身。
子どもの頃、おばあちゃんの家に遊びに行くと、いつもおじさんたちはただふつうにその場所で生活をしていて、周りの家族も結婚を急かすようなことは全く言わなかった。幼いわたしは、「お年玉たくさんもらえてラッキー」としか思っていなかった。
一方、家では両親が毎日のように激しく怒鳴り合い、ときにはどちらかが一時的に出て行ったり、皿が割れたり、大きな音が聞こえたり物が壊れたり……。子どもながらに離婚して欲しいと思うほど、夫婦不仲だった。
親戚のおじさんたちを見て結婚の必要性など微塵にも感じていなかったわたしは、日々、母の「結婚したら女は不利」といった内容の愚痴を聞かされて、ますます結婚に対する幸せなイメージなど沸かなくなった。
モヤモヤしたり、自分が捻くれ者だと感じて辛かったけれど。最近は
大人になってから、母の言っていたことの意味がよくわかるようになった。
選択的夫婦別姓はなかなか現実せず、日本のジェンダーギャップ指数は見たくないほど最低ランク。それでも日本の偉いおじさんたちは少子化を若い女性のせいにしたりする。
結婚願望を抱くなど無縁な環境で育ったわたしはもちろん、そうでない人まで結婚に尻込みしてしまうような世の中が現状。
いわゆる絵に描いたような素敵な家庭ですくすくと育って、結婚するのが普通だと思っている人というのは一定数いるし、世間は、結婚は幸せだと押し付けてくるコンテンツで溢れていて、独身者は肩身が狭そうにしたりする。
「実際はそうじゃない、そんなにうまくいくはずない、結婚して家族になるのは大変なんだ!」と、モヤモヤしたり、自分が捻くれ者だと感じて辛かった。
けれども最近やっと「 結婚 」に対する考え方が少しずつ確立して、楽になってきた気がする。個人的な、しかも少し無責任かもしれない考え方ではあるけれど、同じように結婚に対して世間のイメージと自分の経験などとのギャップでモヤモヤしている人に届いたらいいなと思う。
たまたまあったり、なかったり。「運」「縁」「奇跡」みたいなもの
親戚のおじさんたちはわたしに、縁がなかったとか、興味がなかったとか、いろいろな理由があるけれど、人生の道筋にたまたま「 結婚 」という2文字が落ちていなかっただけ、逆に言えば既婚者は、人生の途中に「 結婚 」がたまたま落ちていたという、そんなイメージを抱かせてくれた。
「結婚」というのは偶然の出来事で、してもしなくてもどっちでも良い、人生の選択肢のひとつに過ぎないと思う。結婚して幸せな人も、辛い人もいるし、結婚せずに幸せな人も、他人や自分に苦しめられたままの人もいる。
「婚期を逃す」という言葉は、YouTubeの脱毛の広告のように人を焦らせて操ろうとしているだけのものだし、恋人がいない人に対して「最近良い人いた??あの人はどう??」などと煽っているような人は、プレッシャーをかけるだけで本来の目的とは逆に人々を「結婚」から遠ざけてしまっている。
だから気にしなくていい。
「運」とか、「縁」とか、「奇跡」みたいなものであって、必ずしないといけないものでは絶対にない。コツコツと人生の歩みを進めていくときにたまたまそこにあったりなかったりするものが「 結婚 」です。
わたしは26歳現在、結婚願望ははっきりと「ない」と言える。理由は、まだやりたいことがたくさんあるから。
ただ単純に、タイミングが今じゃないから。
それだけ。
それでいい、そう考えられる人が増えるといいなと思う。