かがみよかがみに投稿されるエッセイは、面白く素敵な発見があったり励まされたりするものが多い。公式ツイッターでRTされるものはほとんど読んでいると思う。その上で、27歳恋人なしの独身は「結婚、どう思う?」という文言を見て正直こう思った。

「結婚」について考えるのもううんざり!!!

「結婚が楽になる道」自身の社会的価値を否定されているよう

何も婚姻制度を責めたいわけではない。ただ、大学で社会学を学ぶ前も学んでからも、恋人がいてもいなくても、結婚に関しては“確固たる自分のスタンス”を求められることが多くてものすごく息苦しい。たとえそれが好意的でも否定的でも、だ。どんな環境でも結婚を話題にする機会が多すぎて単純にしんどい。

元々体が弱かった私は大学卒業後の就職先で体を壊し、一年も経たないうちに8キロ痩せて新卒カードをドブに捨てた。しばらく投薬治療を受けながらアルバイトをしたのだが、事情を知った職場の方はいつもこう助言をくれた。
「はやく良い人見つけなさいね」
耳にタコができすぎて耳の形変わるかと思うくらい言われた。その後正社員で入社した会社でも、既往歴を聞かれ正直に返答して以来同じ旨のことをよく言われた。言外に「体が弱くて既往歴があるなら今のように働くのは向いていない。結婚が楽になる道だ」と諭された。それは自身の社会的価値を否定されているように感じた。

つい最近も「彼氏は出来たの?」「女性の給料だけだと老後心配でしょう。年金もあてにならないし」という言葉のあと、バス停で寝ていた60代のホームレス女性が撲殺された事件が挙げられた。そうなる可能性があるぞという遠まわしの脅しだった。もちろん「彼女は私だ」と思う気持ちは大いにある。このニュースを知ってコロナ禍で抱いていた危機感も増した。これらは事実だ。しかし脅された私は問いたくてたまらなかった。
「もし彼女が過去に結婚してたら?」

選択の正しさは、私の外にある気がしてくる

結婚してから離婚せず続いている年配の方は「結婚が全て丸く収まる道」と言いたがる。結婚は婚姻でしかない、という考えを持った人は少なく、付随する色んなものを言外に含めて「結婚」と呼ぶ。今や3人に1人が離婚することや、今の不況では共働き世帯が多いことは考えに入っていないらしい。

反対に、同年代は真逆の主張をする友人が多い。ジェンダーやフェミニズムを大学で学んだ人間が多いからか「結婚はオワコン」など否定的な言葉をよく耳にする。高低差で耳キーンなるわ、と使い古されたツッコミが脳裏をよぎる。
そこまで極端でなくとも、例えば「名字は変えたくないけど別姓が認められないから」と事実婚を選んだ友人がいる。
あるいは、同性の恋人がいるが「異性愛と同等に扱われてなくて腹立つから」という理由でパートナーシップ制度を利用しない友人もいる。結婚は国に認められているがパートナーシップ制度は自治体単位のものなので、婚姻制度の代替とは言えないという主張だった。かく言う私も両性愛者なのでその主張はよく分かる。
だが両極端な考えを耳にする機会があまりに多いと「正しい方を選びなさい」と言われている気になってくるのだ。選択の正しさなんて私の中にしかないのに、正解がどこか私の外にある気がしてくる。

相手と相談して決めるという選択肢も許されたい

他人の稼ぎに命を預ける勇気がないので体が弱くともフルタイムで働きたい。婚姻は家父長制の再生産に加担する面が大きいと感じるので良い印象が無い。でも、友人たちや主張を公表する人たちほど確固たる意志も別に無い。
もし次にできた恋人が異性で、今の私が考慮していないバックボーンがあって結婚を求められたら制度を利用する可能性はあると思う。
上記の友人たちはしっかり者ばかりなので恋人が出来る前から意思が固められていた。でも私のようなどっち付かずで決めきれない人間のために、相手と相談して決めるという選択肢も大手を振って許されたい。

同時に、フランスでのPACS(民事連帯契約)のようなゆるめの制度が日本にできることも私は望んでいる。税制や社会保障が結婚と同等の制度ができれば、事実婚や夫婦別姓や同性婚や友人同士の同居など色んな問題が解決するのに。
私が死ぬまでにそんな制度が導入されますように、とほとんど見えない星に祈るしかない。