当時の私は高校3年生。看護師になるため、毎日勉強漬けの毎日。高校を卒業して看護師になるためには、働きながら学ぶ、大学、看護学校の3択が大まかな方法だ。
私の第一志望は大学、次に看護学校としていた。この2つは出題傾向が異なっているため、高校での対策講座は別々のものを受講せねばならなかった。
センター試験と看護学校の2次試験すべての結果が揃ったとき、紆余曲折はあったが、私には3つの進学先が用意されていた。1つは大学、2つは看護学校。

普通だったら迷わず大学を選択するだろう。そのために勉強してきたんでしょ?と後に姉にいわれた。しかし、大学を選択するとかなりお金がかかる。
もちろん奨学金を申請していたし、バイトもする予定だがどれくらい稼げるかわからない。一人暮らしの費用も奨学金からだして、なんて計画も立てていた。しかし実際に目の前に分岐された道が出来ると、4年で卒業し授業料が高い大学と、自宅から通えて3年で卒業できる看護学校とで迷いが生じたのだ。

看護学校か大学か。悩みに悩んだ私に友人がくれたヒント

「返答は3日以内で」看護学校からの追加合格の電話から、3日間、悩みに悩んだ。
両親に相談したが「自分で決めた方がいい。失敗したときの責任をどうとったらいいのか、悩むぞ」と実体験を交えた父からの返答。大げさだが「人生が決まる」というプレッシャーがあった。

悩む私は、推薦で同大学に決定していた友人に相談した。彼女は成績優秀で普段から私の相談に乗ってくれる優しく聡い人だ。彼女は私の合格を祝い、そしてやはり「自分で決めた方がいい」と伝えてくれた。
私が「だよね」と返すと、ヒントをくれた。
「私が大学を選んだ理由は、可能性が広がると思ったから」

自分の可能性。私は「看護師になる」ことしか考えていなかった。何を学び、どんな視点を持った大人になっていくかなんて、考えたこともなかった。
何を経験したい?色んな価値観を得たい!3日後、私は大学を選択した。

大学は看護だけではなく、経済学、フィールドワークといった「それ看護に関係ある?」科目も学べたし、ディスカッションが多く、みんな違ってみんな良いほんまそれな状態。一人暮らしがほとんどで「電気代高いなー」「卵の特売買ってくる?」も日常茶飯事。
また、看護師は病院だけでなく、旅行に付いていったり、イベントにいたり、製薬会社や一般企業の保健室で働くなどの情報も得た。

私は何かを決める時、いつもこの言葉を思い出す

就職後先輩方からよく言われたのは「大学出は思考回路が違うし、観点が違う」である。良い意味だと信じて受け取った。同大学出身、同部署配属の友人と私は「これまでになかった研究テーマだ」と講評をもらったこともある。

もちろん就職して、辛くて辞めたくて死にたくて、という時期がある。それを教授に連絡すると「死ぬなら辞めちゃいな!どこでも働けるし、その経験を伝えても良いじゃない」と言われてから、なんとなく心が軽くなって、いまだに働き続けている。

自分の可能性を広げる、何かを決めるときはそれを第一に考える。私は何かを決めるとき、いつもこの言葉を思い出す。