根っからの都会っ子。気付けば人と比べられ、周りの目を気にする日々
ランドセルの背中を押されながら隣のおじさんに舌打ちをされる朝。小学生の頃から都会の満員電車に揺られて通学していた私は根っからの都会っ子だった。
勿論、遠くの学校に通っていたわけだから近くに友達がいるわけもなく、帰宅をすれば習い事へ行き、やることをこなしてゆく毎日。
気がつけば高学年になると塾へ行き、点数で優劣をつけられる日々が当たり前で、その度に自分の評価が揺さぶられ周りの目が気になるようになった。
その後、中高一貫の女子校に進学することになったわけだが、周りからの目を気にする、その焦りのような怖さのような重い塊はより大きくなっていった。
周りはもっと優秀で英語が話せる、ピアノが弾けるみたいな子は大勢いたし、お家がお金持ちでお財布の中にはお札と一緒にスタバのカードなんかが当たり前のように入っていたから。
無我夢中で努力した。認められることで自分を満たすために
幼い頃から「努力して意味のないことはないのよ」と言い聞かせられて育った私は、頑張っていたと思う。成績をあげなくちゃ、部活で活躍しなくちゃ、可愛くならなくちゃ、みんなに好かれなくちゃ、親に認められなくちゃ。そのために努力を惜しんではならないのよ、と。
勿論そのために私の努力を応援してくれる家族や友達もいたし恵まれていたと思う。「やりたい」と言えばその言葉に耳を傾け、サポートしてくれたからこそ頑張れたことが沢山あったと走馬灯のように数々の瞬間が今でも蘇る。ありがたい、に尽きる。
しかし大学に入ると私の重い塊は恒常的に存在していて、やがて“やらなくちゃ症候群”と化してはぐんぐん加速していった。一体何に追われているのか無我夢中でバイトをしてはお金を稼ぎ、本を読み漁り大学生を対象にしたイベントやらにも顔を出したりした。
「進まなくちゃ。昨日より今日の自分を成長させなくちゃ。」心臓の鼓動はみるみる早くなっていた。
毎日、疲れ果てながらもスケジュール帳をびっしりと埋めては自分を安心させていたし、忙しいことから周囲に「すごい頑張っているよね」と言われたかったのかもしれない。
海を越えてみてはじめて気づいた。世界がこんなに美しいことを
そんな状態の私に転機が訪れた。それは、たまたま決まったアメリカ、シアトルの地での短期滞在だった。1ヶ月ホームステイをしながらワークショップを受けたり社会貢献型の現地のNPOを視察したりする。勿論、自分を成長させるための一環として足を運んだわけだがそこで得たものは予想だにしないものだった。
それは、日常に溢れる美しさ。例えば、
朝起きて窓に入り込む日差しの暖かさ。
夜に部屋に灯るキャンドルの光。
見上げると広がる空の青さ。
歩く街路に見渡す限り艶めいている葉の緑。
バスに乗れば笑いながら「have nice day!」とにっこり微笑みかけてくれるドライバー。
帰宅をすれば「how was your day?greate! 」と会話をしてくれる家族。
「なんて素敵なんだろう。なんてあったかいんだろう。」そんな心がじんわりほぐれていく感覚を初めて得た。「気づかなかった。こんなにも私の生きる世界が輝いていたなんて。空はこんなに綺麗な青空だったのね。」
世界の美しさを知り、そんな希望で満たされると “やらなくちゃ症候群”は次第に私の体から影を潜めていった。その代わり「今の私は私で良いし、背伸びする必要もない。だってこんなにも幸せを感じられているんだもの」そう思えるようになった。
過ごす場所を大きく変えたからこそ感じた私のカルチャーショックだった。
性別。若さ。結婚。お金。容姿。能力…それで私は語れるのだろうか
今も尚、都会暮らしを続けている私だが昔の自分とは違う。
勿論、努力することや頑張ることは大事なことだしその証は消えることはない。
だけれど、自分がご機嫌でいるために、そして自分がこのままで良いんだった、と思えるために感じることも大切だと知ったから。
私の体は頭で考えるだけはなく、全ての体まるっと私なのだ。誰かにどうみられるかではなく、美しいものを感じて生きているのだ。
性別。若さ。結婚。お金。容姿。能力。年収。――私の周りを取り巻く、自分という人間を形成していく要素は驚くほど沢山ある。しかし、果たしてその要素で私は私を語れるのだろうか。
今の見ている景色を、感じ出会った縁を大切にし、在るがまま自分を抱きしめてあげることが自分を幸せにするのではないかと思う。
因みに「センスとは磨くものなのよ」という言葉を聞いたことがある。
感性というものは自分のあり方次第でのばしてゆける、そう信じて美しいもの探しをしている最中だ。そんな風に思うと歳を取ることがなんだかワクワクするじゃないか。目覚めた時に広がる空の青さを見上げてそんなことを思い出すのだ。